2004-03-10

教 育 ?    NO 726

 『丸いリンゴがあります。3人兄弟で分けるには?』 そんな算数の問題に、実際に3人兄弟の生徒が「90度に分割する」と回答して「×」となり、先生に「どうして間違いなのですか?」と訴えた物語があった。

 解答は120度だが、その子によると「リンゴはいつもお婆ちゃんが4つに切り、余った一つを仏壇に供える」とのこと。先生は「○」を与えてから算数の分数を教えたそうだ。

 今、そんな教育環境は家庭、学校共皆無だろう。核家族になり、仏壇のない家が多く、葬儀を行っても仏壇を買い求めることが少なくなり「宗教離れ」が著しく減少している。

 過去ログにあるような気がするが「知・美・倫・宗」の4文字は、知的、美的、倫理的、宗教的の四つを私が勝手に短縮したものだが、それぞれが「情操」の四原則。「倫」と「宗」の欠如した社会、その殺伐とした将来がどうなるか誰でも理解できる筈である。

 最近、昔で言うところの道徳教育が話題に上り、義務教育に於ける宗教教育の論議が交わされているが、そう簡単に事が進まないのが「教育基本法」の存在。宗教教育「第九条」に次のように定められている。

 『宗教教育に関する寛容の態度および宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない』

 『国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない』

 これらを遵守すると、宗教は歴史の勉強の範囲内に限られることになり、宗教の奥深い思想、哲学の勉強なんて絶対に不可能であり、上述の「情操」に至ることも無理ということになる。

 私学は別として、現状を「ゼロ」と考え国家の意識改革が始まったとしても、少なくとも50年や100年を費やさなければ教育の本義に結ばれず、その原因となるのが教員の養成である。

 組合活動に積極的でサラリーマン化した先生の世界、そこに宗教教育なんて持ち出したらそれこそ何人もの校長さんが自殺されるだろうと推測する。

 私は、情操の「知・美・倫・宗」について、次のような比喩を用いている。

  「一輪の花が咲いています。その花の名が『百合』であることを知ることが『知的』。絵に描いたり撮影したい感情の生まれが『美的』。他人にも見せて上げた い心情になり、手折って自分が独占しないことが『倫理』。花にも命がある。所業無常と言うではないか。多くの人を和ませ、水と空気など自然の恵みに感謝を 捧げ、来年も見事な花を咲かせてくれよというのが『宗教的』情操」

 先日のニュースで「2歳までの子供にテレビを長時間見せると情操に悪影響が」と報じられていたが、葬儀の場で送られる祖父や祖母と孫の関係を見ていると、「情操」はいつまでも「情葬」であって欲しいし、場騒という「情騒」だけは御免蒙りたいと願っている。
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[737] 天空館から隠れ家へ   NO 725 投稿日:2004/03/09(Tue) 23:01
 
 花がお好きだった女性の葬儀、いっぱいの花に囲まれて行われたが、多くの会葬者が「何とかわいい祭壇!」と驚かれていた。

 今月下旬に誕生日を迎えておられたが、残念にも今年の桜の花を見られることが出来なくなってしまわれ、葬儀の終了時に行われた喪主さんの謝辞にそのことが触れられていた。

 杖を手にされたご高齢の喪主さんだが、立礼時に椅子を勧めても頑なにご辞退をされ、愛する奥様のためにとつとめられたご挨拶が素晴らしく、式場内から感動が伝わる。

 やがて、ご出棺。火葬場に向かう車内で「いい式場で嬉しかった」と言われ、続いて弊社スタッフのことを褒めてくださったが、私は、前を走るリンカーンの霊柩車のことを考えていた。

 大切な人のご葬送、喪主として愛する人が乗る車にどんな思いを抱かれておられるのだろか? 阪神高速道路を経由するが<時間を費やして一般道を走行する方がいいのでは?>そうすれば少しでも「この世」におられる。

 何千回と火葬場に向かった経験の中、ハンドルを握りながら、ふと、そんなことを思い浮かべていた。

 長年に亘り介護を尽くされたご主人、「出来る限りのことをやった。よく頑張ったね。ゆっくりとやすみなさい」という表情が垣間見えたが、辛苦を共にされた時代の思い出が一入強く甦っておられたことと拝察申し上げる。

  今日、私が担当した式場は、大阪やすらぎ天空館。何より静かな環境が素晴らしいが、我々業者が建築するなら絶対にしないような贅沢な空間。そのあたりがお 役所らしいとも言えるだろうが、悲しみの儀式にあって「静寂」は何より大切。そのあたりを喪主さんが高いご評価をなさっておられた。

 この天空館を設計された会社の会長さんも、不思議なご仏縁で私がホテルで社葬を担当申し上げたが、当日の奥様の暗涙されるお顔をはっきりと覚えている。

 さて、今日は東京の書籍会社の取材を受けた。隠れ家で3時間ほどお話をしたが、おそらく「とんでもないオヤジだ」との思いを抱かれて帰京されたと拝察する。

 「とんでもない」にも様々な意味があろうが、それらは今月末に販売される書物の中ではっきりする筈。

 「変わった葬儀社」というご発言はあったが「変な葬儀社」という意味ではなかったと信じている。

 彼は、葬儀に於ける「司会」と「司式」の異なりについてはご理解されたよう。また、急変する社会ニーズの最先端サービスの一部もご笑覧いただいたが、何より弊社が加盟している日本トータライフ協会のことを詳しくご存知だったのが驚き。

 今回のご仏縁は、この「独り言」からだそうだが、帰社されてからページを開かれ、「やはり、書かれたか」と思っておられるだろう。

 記者さん、遠方までお運びくださって誠に有り難うございました。
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