2004-02-12

否定文字    NO 699

腰痛で通っている整骨院で、ふと見ると弊社の本部長が来ている。聞いてみると彼も腰痛だそうで、数年前スポーツ選手だった時代の影響もあるようだ。

 この整骨院、女性スタッフ達も数人来ているとのこと。みんな若いのに「肩こり」や「腰痛」。葬儀社とは結構ハードな仕事。冷え込みという宿命がもたらす職業病なのかもしれない。

さて、新聞の投書欄に考えさせられることが書かれてあった。

 検死が済んだご遺体の引き取りに行かれた警察での出来事。投稿されていたのは区会議員だったが、2回の体験があったそうで、1回目はコンクリートの床にゴザが敷かれた上に寝かされており、2回目は安置台の上の裸の状態に驚かれたという。

 過去に書いたことがあるが、人が死を迎えた瞬間から人でなくなるということに強い憤りを感じている。

 遺体を運ぶ寝台自動車や霊柩車が「8」ナンバーの特殊自動車として扱われているが、この「特殊」の意味を真剣に考えて欲しい。

 陸運局の姿勢には、人という「旅客」と物という「荷物」の区分けがあるが、遺体は果たしてどちらと考えているのだろうか?

 人間の尊厳と社会の礼節に照らし合わせて考えてみると、ご遺体とは特別な存在として認識するべきであり、そこに特殊自動車としての存在意義があるように思う。

 これらは病院関係者に対しても言えること。さっきまで患者だった人が死を迎えると突然「遺体」として捉えられる。「家族」が「遺族」に変化する瞬間があっても、その受け入れにはかなりの時間が掛かる。

 そこに重要なことがある。それは、送り出す病院側と搬送を担当する我々葬儀社とのコミュニケーション。この部分にまで気遣う病院は皆無と言っても過言ではないだろう。

 世間で病院と葬儀社の癒着が問題視され、悪質な葬儀社による受注強要の被害体験をされた方も少なくないが、上述の問題とは全く相反する構図のように思えてくる。

 何度も書くように「佛」の文字の「弗」は否定の意味。「人」でないから「佛」と呼ぶ。だが「物(ぶつ)でないことだけはご理解いただきたい。

 沸騰の「沸」も「水」ではないという意味。漢字とはうまく出来ているものだと感じながら、その奥にある深い意味を学びたいと思っている。

 そうそう、投書欄にもうひとつあった。孫からの電話を楽しみにされている足の悪いお婆ちゃん。孫だと思って電話に出ると、墓地やお墓の売り込みに互助会の勧誘ばかり、「まだまだ死なないわよ」とお怒りのご様子だった。

 明日は鹿児島、明後日は札幌。嫌いな飛行機に乗らざるを得ないが、万が一を考慮し、私が司会を担当するシナリオを北海道のメンバーにメールで送信しておいた。
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