2005-10-27

旅立ち  NO 1314


 多くの方々の葬儀に携わってきた歴史、その中には印象に残っている出来事がいっぱいあるが、今日は、ちょっと長くなるだろうが、見事にご終焉までの晩節を過ごされたある女性のことを書かせていただく。

「桜前線が九州に」という記事が新聞に掲載された日、夕食時に「ジパングクラブに入会したの。もちろんあなたと二人でよ」と、ご主人に入会のパスポートを見せられた奥さんのこと。

 ご主人の定年から5年の月日が流れ、ご夫婦の楽しみは家族を伴って出掛ける日帰りハイキングだったが、孫達が小学校に入学してからはそれらも少なくなり、月に一度の温泉巡りとなって、新聞広告や旅行会社のパンフを見ながら関西一円の温泉地に出掛けられていた。

 ご夫婦がよく利用されていたのは一泊のバス旅行で、個人的に手配する旅費に比べると格安であり、観光スポットのお任せが何より気楽であったからだった。

 そんな中でジパングクラブにメンバー登録、JRのパスポートを入手してあちこちに出掛けるという提案、何か怪訝な気持ちを抱いてしまうご主人だったが、いつの旅行も奥さん主導型で進められてきたこともあり、深く考えることもなく会話が通過していった。

 奥さんのこの行動の背景には、大きな問題が秘められていた。それは、早春を迎えた頃に体調に異変を感じ、医院での診察を経て大病院で精密検査を受けていたことがあったから。

 ご主人は精密検査の事実を知らされておらず、奥さんの身体を病魔が蝕んでいるなんて想像することさえなかった。

 やがてゴールデンウイークの頃から時刻表を開く姿が多くなり、梅雨の季節から月に一度の旅行は四国、九州、そして夏は信州から東北、北海道へと全国に広がって行った。

 秋を迎えた頃の夫婦の会話、ご主人は老後の貯えという現実的な問題を提起、その時の奥さんの表情に<何かある!?>と察することになり、数日後に嫁いでいる娘さんに電話を入れ、奥さんに内緒で会う行動に出られた。

 そこで初めて耳にした現実は衝撃だった。妻が不治の病に侵されている。それも手術不可能で余命も長くて1年ということを知り、「なぜ秘密に」と娘を責めながら<そう言えば?>と、旅行に行く度に弱々しくなる妻の姿を思い出してもいた。

 娘の願いは「知らない振りをしてお母さんに付き合ってあげて」ということ。それは、人生最後の思い出づくりという妻の願いでもあった。

「ど うにもならないのか、病気は?」と確認しても無言の娘。彼女も何度も病院に付き添って行ったそうで、医師から告げられた残酷な宣告を正直に打ち明けられ、 自責感に襲われる無力な自分。暗黒の世界に陥ってしまった今現在の状況の整理さえつかない状況は、これまでの人生で体験したことのない衝撃であった。

「お母さんはね、お友達とも積極的に交流を進め、お父さんの知らないところで身辺整理を始めているの。何れ入院することになるけど、その時までにすべてをやっておきたいと考えているの」

 娘は、それを父に内緒にすることが母の愛情表現だと説明し、不思議と明るく振舞って「お父さんって、幸せね?」と結んだ。

<俺は、何をすべきなんだ?>と言いたかったが、ぐっと堪えたご主人、娘を安心させるために「お父さんなりに真剣に考えてみるよ」とだけ返した。

 それからの日々、娘の言ったように妻の行動は何一つ無駄がなく、残された時間を有効に活用していく姿がはっきりと見え、出来る限りのフォローをする自分の変化に驚きもあった。

 それから新しい年を迎えた頃、月に一度の旅行に行くことが出来なくなった。衰弱が著しく痛みも激化して入院を余儀なくされたからだ。

 病室の妻は、見舞い客が驚くほど小奇麗で明るかった。鎮痛剤を最小限にしているところから激痛に苛まれてはいたが、病気と余命を夫が理解してくれていることから心の痛みだけは軽減されている。

 娘夫婦や3人の孫達の見舞いも明るく他の病室とは全く異なる雰囲気、それは、夫婦と娘夫婦が話し合って、孫達にしかっりとした命と死について教えていたから。

それは、孫達が病室に持ってきて張った絵に「天国のお婆ちゃんと神様と天使」が描かれていたのだから誰にも分かるだろう。

 彼女が終焉を迎えた日は、ジパングクラブに入会してから丁度1年を経過する頃だった。
医師、看護師さん達が感動されたという見事な御礼の手紙も書かれていた。そして、夫への手紙の末文に「ジパングクラブの旅、私の旅立ちとして最高の思い出だった。有り難う」としたためられてあった。

 駅の構内に張られている旅行案内の広告掲示、夫婦を対象にした「フルムーン」もあるが、そんな思い出づくりに出掛けられる人達があることも知っておきたいものである。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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