2012-02-18

小細工?  NO 2845


 昨号で書いた合同葬へ参列。小雪の舞う中、送迎バスの指定場所に行ったら、今日は空席があったので第一便に乗れた。ひょっとして参列者が少ないのでは?と思って式場に入ったら、セッティングされた椅子席が満席になっていた。

 お二人の弔辞の内容が素晴らしく、どちらも故人のお人柄を物語るもので目を瞑って拝聴していた。

  そうそう、ここで触れておかないといけないことがある、弔辞があると聞いていたので開式前に音響システムを調整しておいた。お通夜で気になった「低音」の 部分をチェックすると、想像していたようにレベルが高かった。そこで微調整をしておいたら、随分と聞き易く変わっていた。

 第2マイクと第3マイクの微調整を行ったのだが、スタッフ達の耳の感度のアップを願っている。

  参列者の中に、故人と深い交流のあった方々がおられ、その方の先代社長の社葬を担当してことがあり、「あの時のあなたの司会が語り草になっている」とのお 言葉にくすぐったくなったが、続いて今日の女性司会者も中々のレベルと仰ったので、彼女について説明を申し上げておいた。

 ご出棺時、かなりの冷え込み。玄関に出ると、「ここで出来てよかったね」という会話が耳に入ってホッとしたが、ご霊柩車や随行するハイヤーとバスが遠回りして会社の前を通ると言う行程に「そう、それが大切だ」と心の中で相槌を打っていた。

 葬儀で幸せや感動を売り物にすることは間違っていると何度も書いたが、私の葬儀に対する哲学は「少しでも不幸でないようなひとときのプレゼント」で、ちょっと発想転換すれば幾らでも発見に至ることが出来る筈である。

 ネットの世界に葬儀社の宣伝する「感動の葬儀」や「幸せの葬儀」なんて言葉があふれているが、そんな業者のレベルが低いことが常識で、謙虚と礼節を重視する葬儀の世界では絶対に遠慮するべき言葉だと考えたい。

 幸せ列車の「メールマガジン」第3号が発信された。内容はお孫さんが頂いたお年玉の袋に100円硬貨一枚を入れられ、それを亡くなられたお祖母ちゃんの棺の上に載せられたエピソードだが、大人がしている香典を真似た行動のようだった。

  葬儀の背景にあって重視されるのは家族の「絆」と言うこともあるだろうが、私が拘って来たのは「命の伝達」であり、それを儀式の中でどのように「かたち」 で表現するかが プロデュースと司会の世界であり、これを理解せずにマイクを手にすると、単なる「進行係」から抜け出せることはないと断言する、

  今日の合同葬、開式前に行われる「奉儀」に先立ち、お二人のお孫さんからお爺ちゃんに捧げられた花束奉呈があったが、ここにも「不幸でないひととき」が生 まれるもの。式場におられる方々の心の中に、「お爺ちゃん、よかったね」という心情が生まれたら、それこそ「会場空間」から「儀式空間」へと神変する一端 を担うことにつながり、願う「命の伝達」の一部となって継承されるのである。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
携帯で下のQRコードをスキャンするか
 または
携帯に下のURLを直接入力します。
URL http://m.hitorigoto.net