2006-12-09
「たら・れば」? NO 1712
不思議と土、日に限って医師の世話になることが多い。今日も軽い風邪の症状を感じる。<悪化しないように>と思って自宅前の医院へ。診察時に「ついでに予防接種をしておきましょう」と、インフルエンザのワクチンを肩に受けてきた。
風邪の症状に合わせた薬をいただいて自宅に戻り、それから整骨院で鍼治療へ。どちらでも「冷えたらいけないよ」というアドバイスがあり、お通夜の式場から早めに帰宅するようにした。
さて、昨日のニュースでびっくり仰天。北朝鮮のゴルフ場での出来事だが、将軍様が18ホールの内で11回もホールインワンをされたという。
ゴルフをまったく知らない国民だから話題にもならないだろうが、我が国や欧米諸国なら「お笑い」や「ジョーク」にしても軽蔑を通り越したレベルの話だろう。
在日の人でシングルハンデの友人がいるが、彼が「何と恥ずかしい放送をするのだ」と悲しんでいたので慰めていた。
ゴルフに付きものなのが「たら」「れば」という言葉。「あそこでOBがなければ」「あれが入っていたら」なんて「言い訳」を全部取れば誰でも好スコアとなるだろうし、同伴プレーヤーとして耳にしたくない言葉である。
そんな「たら・れば」は、ゴルフ以外にもいっぱい出てくる。
「左ハンドルでなければ直進車が見えて事故にならなかったのに」
「彼が来なかったら飲酒運転をしていなかったのに」
「彼女が出場していなかったら優勝できたのに」
「渋滞していなかったら追突することもなかったのに」
「逢わなければ結婚することもなかったのに」
人生とは「**で**していたら」「**を**しておれば」なんて「たら・れば」のオンパレード、その多い少ないが「幸・不幸」のバロメーターみたいになるのかもしれない。
「事故さえ起こさなかったら」「あそこでいったん停止をしていたら」と後悔する事故も少なくないだろうが、「たら・れば」を言わない日々を過ごされる方の人生とは有意義で充実していると言えるだろう。
世の中に様々な事故や事件の被害者家族の存在がある。その人達にとって「たら・れば」に対する思いはやるせなさが強い筈。「犯人がこの世に生まれていなかったら」「同じ職場でなかったら」「警察が対処してくれておれば」なんて腹立たしい後悔で生涯苛まれることになる。
出来たらと、ここにも「たら」が出てくるが、「たら・れば」は、ゴルフの範囲内で飛び交う会話だけであって欲しいと願っている。