2018-04-20
自分の声 NO 8177
財務省のセクハラ問題が喧しい。録音された声を自分で分からないと発言していたが、他人が耳にしたら誰の声かは間違いなく判断される。
オープンリールが一般的だった時代に自分の声を録音して聞いてみたらびっくりしたことを憶えているが、その後にテレビ番組の出演ビデオ収録や、大規模な社葬や合同葬の司会を収録したビデオ映像で自身の声を知ることになった。
小さな機材や電話機でも簡単に録音出来る便利な時代、予想もしなかった自分の声が法廷で流されたら逃げ道も亡くなるだろう。
昔、弊社の事務所の2階に「隠れ家」と呼ばれる私の部屋があった。そこには様々な音響設備があって故人の写真を編集した追憶ビデオにナレーションや音楽を収録することが可能だった。
そんなことが出来ない頃、ふと来社された音響照明会社の社長を部屋に迎えて相談したら、「絶対に無理です」と言われたが、コピー用紙の裏側に図を描いて素朴な質問をしてみたら、「あれ!可能ですね」と言われて次の日にシンプルな機材をプレゼントくださった。
その日から大規模な録音スタジオでしか不可能な収録が可能になった訳だが、追憶ビデオは4分20秒バージョンで創作されており、それに合わせてナレーションを吹き込んでピッタリ合わせるのが面白かった。
全国から多くの司会者や同業者が来社されたが、吹込みの体験をされるとピッタリ合わせることの難しさを体験され、私の不思議な時間合わせの喋り方に興味を抱かれていた。
現在の本社の2回の式場の音響システムは高レベルなものだが、ある時に北海道の仲間から吹込みを依頼されて困ったことがあった。それは亡くなられた中学生の娘さんにお母さんが綴られた手紙で、イメージを描きながら女性社員に吹込みをキャスティングしたが、彼女は機材では絶対に録音不可能ですと言い張って言うことを聞かず、黙って2階に上がって私の言った通りに敗戦してみろと勧めたら、「出来ますね!」となって完成した。
収録したテープを宅配や郵送でも間に合わないことから、メールに添付して送信したらとなって彼女が対応したらうまく運び、やがて次の日に「最高でした」とメールが届いた。
レコーディング・ミキサーという世界を勉強していた時代もあり、自分昔に自宅にあった機材で多重録音をしたことあるが、自分で演奏したギターやピアノを重ねて行くと信じられない音楽が完成したのだからびっくりだった。
マイクを手に司会をする人達に教えたことに「耳を敏感に」ということがあった。自分の声が参列者にどのように聞こえているかを把握することだが、読経の声や音楽とのバランスにも敏感にならなければならない。
大病から退院してお通夜の式場に行った時、担当者を呼んで「右のスピーカーが鳴っていない」と伝えると「そんな筈はありませんと」言って確認に行かせたら、敗戦がつながっていなかった出来事に衝撃を受けていたが、式場に入った瞬間にそれを指摘した私の敏感な耳に驚いていた。
今日の写真は7月14日に開通すると報道があった久大本線を走る「特急 ゆふいんの森」だが久留米駅で撮影したもの。記録的な豪雨で流された鉄橋の修復が進んだみたいで、日田駅と光岡駅間を代行バスで結んでいたことも解決することになる。
一方で、熊本の大地震で不通となっている豊肥本線の阿蘇付近の開通はまだ無理なようで、復興する日の到来を願っている。