2005-03-04

悲嘆と思慕感  NO 1085


 朝、変な夢で目が覚めた。6時半だった。夢判断をされる方ならどんな分析をされるのだろうかと興味を覚える。

 机の上のパソコンで地球環境をテーマにした原稿を打ち込んでいる私。その横にあるテレビを挟んで理容師さんがお客さんの整髪をされている。

 そのお客さん、とんでもないわがままな人で「チャンネルを変えてくれ」と、しきりに私に声を掛けてこられる。

 そんなストーリーだったが、さっぱり理解できない内容。間違いないことは「お疲れモード」で睡眠が浅かったということだろう。

 先月後半から今月に掛けて司会を担当しなければならない葬儀が多くあり、ちょっと無理をしたことも事実だが、手紙やメールへの返信、また追憶ビデオの録音吹き込みも溜まる一方。動けば動くほど仕事が増えるという環境になってきている。

 コンサートなどのイベントも次々にやって来る。始めてから2000名様以上の方がご参加くださり、それらは口コミでどんどん広がり<どうなるの?>と危機感まで抱くことになってきた。

 個人的なご趣味の展示会をというご要望も入っている。「ヒューマンライフギャラリー・シーン」という名称をお気に入りくださったそう。葬儀式場や葬祭会館だったら絶対に入ることのなかった様々な催し事、人生の輝く「ワン・シーン」のお手伝いが出来ればと願っている。

 担当させていただいたご葬儀、その喪主様がイベントにご参加くださることは何より嬉しいこと。

  過去に何度か書いた「悲嘆」の心理だが、絶望感、孤独感、自責感、無力感など山ほど陥る情操不安の中に「思慕感」という救いになる分析結果が存在する。こ れは、悲しみの事実を知っている立場を理解共有するところに生まれる心情で、葬儀を担当した我々も癒しや慰めに関して重要なキーワードになるということで ある。

 ある不幸な葬儀があった。幼い子供さん達を残されてお母様が亡くなられた。子供さんの悲しみの状況に途方にくれられるお父様。そこで子供達に掛けた言葉が次のことだった。

 「私もね、スタッフのお姉ちゃん達もね、お母様が亡くなられたことを悲しんでいますよ。だから、悲しくなった時、いつでも会社に来てね。一緒にお母様のことをお話ししましょうね」

 それで後日にやって来られた子供達、その表情には表現できないような安堵感が感じられ、<これが思慕感?>という貴重な体験となった出来事として印象に残っている。

 そんな思いを託して始めた「星名国際登録証」のプレゼントだが、全国に点在するメンバー達も行っており、今や「癒しのプレゼント」として日本トータライフ協会の大切な活動に進展した。

 それは「葬儀って、祭壇?」という大きな疑問から意識改革が生まれ、やがて「かたち」になった一つの例だが、協会のメンバー達が発案して提供する数々のオリジナルサービスは、今、社会の歓迎と賛同を頂戴するようになり嬉しいところだ。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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