2005-07-12
豪雨の思い出 NO 1207
空梅雨から一転して全国で大雨、九州で記録的な大雨と報じられていたが、被害に遭われた方々のことを案じながら、ふと15年前のことが蘇ってきた。
1990年の同じ頃、友人達と阿蘇のホテルに滞在していた。前夜から降り出した雨が未明から豪雨に変わった様子にただならぬ危険性を感じ始め、早朝6時前頃から熊本市内に向けて出発しようと提案していた。
「朝食を済ませてから考えよう。小雨になるかもしれないし」という意見もあったが、やがて折衷案として午前7時過ぎの朝食時に決断することになった。
ホテルは何度か宿泊したことのある阿蘇高原ホテル、プロのトーナメントコースとして知れ渡ったゴルフ場を併設し、大阪からライオンズクラブの友人と出掛けていたのだが、熊本の同業者の社長や友人達も合流して同宿していた。
朝食時、それぞれの意見を聞いてみる。すでに熊本市内のゴルフ場数ヶ所に電話をしてくれており、すべてが「水浸し」でクローズという情報もあった。
大阪の同伴者から「せっかく来たのに」と嘆きの声、そこで提案したのが朝から何度も確認していた天気予報から南へ行こうということだった。
7時半過ぎ、2台の車に分乗してホテルを出発。熊本市内に向かって国道57号線を下り出した。
体験したことのないような大雨、ワイパーの効力もない極めて危険な状況。走り出して10分ほどするとサイレンを鳴らした多くの対向車と出会った。パトカー、消防車に続いて自衛隊のジープやトラック、その横に救援車というステッカーが張られている。
赤水、立野を過ぎ肥後大津の杉並木までやってきた時、そこで信じられない光景が目に飛び込んできた。国道と並行している豊肥本線が川のようになり、道路も30センチぐらいの冠水という状況だった。
ギヤを落としエンジンを吹かし気味にして冠水道路を進む。幸い何十回も通ったことのある道、その先の状況判断が可能で走行を続けて無事に脱出。九州自動車道のインターまで辿りついた。
目に入った電光掲示板に「福岡方面 通行止め」とあり、地元の友人達が帰る方向にはいけないことに。そこで車を停めて打ち合わせ。南に向かうことが決定し、八代から人吉、そしてえびの高原を通って鹿児島へ入った。
到着したのは昼過ぎだったが、プレイ可能ということで空港近くのゴルフ場でハーフだけラウンド。そのまま霧島のホテルに宿泊予約を入れ、九州組も夕食を共にということでホテルに向かった。
食事が終わってから九州組を見送ったが、九州自動車道が熊本から福岡まで通行止めのまま。彼らが自宅に戻ったのは朝方だった。
この大雨、豊肥本線の緒方と宮地間が1年以上に亘って不通となった被害を及ぼしていた記録的なもの。共に行動した友人達との語り草になった出来事である。