2002-06-18

出会いの中で   NO 109

私のこれまでの人生にあって最高の宝物は、多くの方々と出会う「ご縁」をいただいたことだろうし、これは、これからも命終の日まで続くことであり、事故死がなければ、最期の出会いは、私の臨終を確認する医師ということになるだろう。

 葬儀に携わる仕事に従事していると、多くの宗教者の方々と接することになり、若い時代にはご叱責やお説教を頂戴したことも少なくない。

 この職業に就いて、世の中には「こんなお方がいらっしゃるんだ」と、大きな影響を受けた先生がおられる。その方は、黒住教大阪大教会所の所長であられた「林 一九〇」様。

「は やし いくまる」先生は、神道の世界を生きられる「本物の宗教者」でもあられるが、一人の人間として心から尊敬申し上げるお方で、時にやさしく、時に厳し く、様々なことをご教導くださり、葬儀という仕事の将来への取り組みにあって、北極星ともいうべき存在であられたと思っています。

 先生から頂戴した多くの著書を拝読させていただいたが、それは、人間、生と死、愛などをグローバルな観点から見事なまでに著され、今も時折に拝読申し上げる大切な「ご本」となり、お人柄に触れる貴重なひとときとなっている。

 昔、ある葬儀で、お通夜を前に、車でお迎えに行ったことがあるが、車中で拝聴したお話が印象に残っているので紹介申し上げる。

「人間とは弱いもの。迷信というものに左右されることもそのひとつです。次のような逸話がありました」

 縁側で爺さんが「お灸の用意をしてくれんか」と、婆さんに言った。しかし、婆さんは「あれ?」という風にしばらく考え、やがて暦を見られ、「今日は、お灸によくない日ですよ」と返答された。

 「わしにとっては良い日なのじゃ。用意をしてくれ」
 婆さんは、言い出したら聞かない頑固爺さんの言う通り、準備を整え、縁側で仲良くお灸の微笑ましいひとときが始まった。
 
 そこへ、近所の婆さんがやって来られた。「あれ? 今日は確か、お灸によくない日の筈だが?」

「そうじゃった。ばあさん、お灸は取り止めじゃ」

 しばらくすると、近所の婆さんが帰られた。「婆さんや、お灸の用意を頼む」

「取り止めじゃと、おっしゃったではありませんか?」

「今日は、わしにとってお灸に良い日なのじゃ」

「さっき来られた婆さんもおっしゃられたでしょう?」

 婆さんにぶつぶつ言われながら、爺さんはお灸を始められたが、その時に、ふとおっしゃられたお言葉が素晴らしい。

「悪い日が過ぎ去られたからのう」
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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