2002-06-28

悲劇の裏側で    NO 119

ある時、若い娘さんが交通事故で亡くなられ、それは言葉で表現出来ないような葬儀となり、ご出棺前のお別れ時には、数十人の友人達がお柩を取り囲まれ、ご出棺が不可能な「ギャー」という世界となっていた。

「お名残尽きませんが」「お時間でございます」
 そんな残酷な言葉を出せない状況。外してあるお蓋に手を掛けようにも掛けられない事態。こんな時にそんな行動をすると、一声に「ギャー」という悲鳴の大合唱となり、「人でなし」という視線が突き刺さって来る。

 これは、我々葬儀社が最も苦しむ問題で、こんな時にこそ宗教者が「神変」というパワーで救いながら、決別の情を断っていただきたいと願うところである。

 そんな中、その葬儀は30分遅れでご出棺となった。お蓋を閉じる「悪役」をおつとめくださったのは親戚のおじさん。前もって私と打ち合わせていたシナリオが功を奏したようだ。

 前日の通夜終了後、午後11時を過ぎても式場から離れない友人達の存在。これまでの経験からもご出棺時の光景が予測され、おじさんとは、30分間の時間オーバーを考慮する話し合いをしていた。

 霊柩車、マイクロバス、ハイヤーなどには前もって事情の説明を済ませ、すべて納得の協力もいただいたが、最大の心配は火葬場で予想される問題の光景であった。

「死」を理解されない若い人達の心情、これは、卓越された宗教者のパワーを以っても解決が難しい世界で、おじさんと導師をおつとめいただいたお寺様の3人で作戦が練られる。

  私が火葬場で描いていたシナリオ。それは、安置をしてから30分間、「彼女のために涙が尽きるほど泣いて上げてください」ということだった。もちろん、そ の言葉の前後には宗教的な脚色を入れたが、泣いて上げてくださいと言った後、一瞬、静寂の時間が生まれたことが不思議であった。

 少し経って泣き声だけの時間が始まり、「ギャー」という世界はなく「しくしく」という時間が流れる。

  10分後ぐらいっだっただろうか、おじさんが予定よりも随分早く登場され、「皆さん、有り難う。**はきっと喜んでいるよ。こんな時は、あまり引き止めて おくことはいけないそうです。お寺様が教えてくださいました。悲しい儀式が終わったら、次の世界へ生まれなければならないそうです」

 おじさんは、そこで泣き崩れてしまわれた。すぐにお寺様が前方に進まれ、「はい、納めてあげなさい」と担当職員に命じられ、台車が動き出す前に「カァーッツ」と、禅宗的引導作法のようなお言葉を叫ばれた。

「禅 宗的」と言った背景には事情がある。このお寺様は禅宗ではなく「お念仏系」であられ、こんなお言葉を発せられることは絶対に考えられないことだったが、そ れが宗教者らしい「方便」であることを後で教えてくださったが、それは、そこでの最上の策で、見事な結実を迎えることが出来たことは確かである。

 さて、この悲しい火葬場でのお別れのすぐ後、「えっ?」という光景が見られた。見送りに来られていた友人達。それぞれの車に分乗されながら、「映画でも行く?」「ミナミに行こうよ」との会話が交わされていたことであった。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
携帯で下のQRコードをスキャンするか
 または
携帯に下のURLを直接入力します。
URL http://m.hitorigoto.net