2002-11-11

大 阪 弁   後編   NO 253

苦笑いしていたオヤジの表情が困惑し始めた。とても冗談とも思えないパワーが奥様にあり、ご住職が天井を見ながら固まっておられる。宥めても無理との判断をされているのかも知れない。

 そうなると、止めるのは私しかいない。
<直説的ではなく間接的に外側から包囲してまとめるべきだろう>
 私は、そんな思いを抱きながら、ある作戦を思いつき、決行してみることにした。

「他のお客さんがやって来られたら大変ですし、ちょっと方向を変えましょう。今から3分間、私の話を聴いてください」 

 店内が静まり返った。誰も言葉を返さない。それは、「3分間」という発言に秘められたテクニックがあった。

 通夜での説教には、「長いのでは?」との心情が必然的に生まれ、いかに義務とも言えど、聞く側の姿勢が完成していないことを理解しなくてはならない。そんな時、冒頭の「時間」の宣言に効果があるのだ。

『皆 さん、今日は、お婆ちゃんのお通夜にご弔問をいただき、おばあちゃんもきっと感謝をされておられることでしょう。私は、明日の葬儀の導師をつとめますが、 今、通夜のお経を唱えながら、お婆ちゃんとの生前のやりとりを思い出していました。お婆ちゃんが死を迎えられたことによって、私や、ここにおられる皆さん が生きていることを知る機会ともなったのです。今から15分間。そんな命の機縁についてお話をいたします』

 プロローグにあって時間の開 示公表は、環境の完成に対する最大の効果がある。「そんなことを説教の場に持ってくるな」と、宗教者に叱責されるだろうが、講演や説教のキーポイントは、 入り口での「聴いてみよう」という「興味の発生」と「時間の開示」にあると言っても過言ではない。これらは、結婚披露宴の祝辞にも明らかのように、義務は 時間の経過によって怒りに変貌することもあり、無言のブーイングを誕生させる危険性を秘めているのである。

 さて、私の3分間だが、次のようなことを言った。

「ご 住職のお説教は下手ではありません。しかし、説得力というところにひとつの問題があることも事実です。今からご体験いただくことでお気付きになる筈です が、その答えは『大阪弁』のイントネーションにあるのです。私達の愛する大阪弁は、会議などでの発言に明らかなように説得力が低く、重みが欠如してしまう ものなのです」

 これまでに何度か拝聴したご住職のお説教。それは、確かに下手ではないのだが、終始大阪弁で進められ、まるで落語の世界に化している思いを抱いており、失礼で僭越極まりない発言だが、奥様の心情を抑えることを目的に提起することにした。

「奥様がご要望されたナレーションはいたしませんが、ここで、私が発言したことについて、責任上から実験をやってみましょう」

 私は、ナレーターとして、次のナレーションを標準語と大阪弁の二通りでやってみた。
 内容は、都はるみさんのヒット曲「大阪しぐれ」の紹介で、日本人好みの「五七調」バージョン。それぞれのイントネーションは、「w」型と「m」型であった。

『泣いて別れた北新地。グラス片手に呑む酒は、なんと寂しい一人酒。外の時雨が目に映る』

「かっこええわ。やっぱり超一流のプロ。大阪と標準語のイントネーションの違いがよく分かるわ。説得と納得にはっきりと差異を感じたわ」 

 奥様はご機嫌であった。
そんな時、「わてに、標準語は無理やがな」。住職のそんな呟きが聞こえてきた。
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