2002-11-10

大 阪 弁   前編   NO 252

通夜を終えて帰宅途中、なじみの料理屋に寄ると、予想もしなかった方と逢ってしまうことになった。

 おられたのは2人の女性。どちらも、さっきまで私が担当していた通夜に弔問されており、この店に1時間前頃に来られたそうだ。

 お2人の内の1人は、あるお寺様の奥様。私がカウンターでオシボリを手にすると同時に、今日の通夜で行った私のナレーション談義が始まってしまった。

  これは、故人の思い出の写真を編集した「フォトビデオ」を放映し、私が「生」で約5分間のナレーターを担当したもので、ナレーション内容は、「命の尊さ」 「参列者にもこの日がやがて訪れるという自身への哀れみ」「故人の死が無駄ではない」「遺族への癒しと慰めの願い」などをシナリオ構成したもので、「ただ 感動」のお言葉をお2人から頂戴することになった。

 さて、ここからが問題であった。お寺様の奥様が携帯電話で「あなたも来なさい」とご住職を強制的にお呼びになったのである。

 私は、正直言って、逃げ出したくなっていた。このご住職は恐妻家。来られてから交わされるであろう会話に、なんとも申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 住職は、それから20分ぐらいでやって来られた。
私の横に座られ、「まずは一献」とおっしゃられたところへ、奥様の言葉が割って入られる。

「あなた、もっと勉強しなさいよ。今から久世さんに教えていただくのよ。説教のテクニックを」

 奥様の勢いを心配された隣席の女性が、クッション的な発言でフォローされる。

「奥様のおっしゃりたいことは、プロの説得力ですよね。納得の出来る言葉と説得出来る表現力。そういうことですよね。今日は、私も感動しましたわ」

 正直に申し上げるが、このナレーションのパターンを始めてから、まだ数回目であった。葬儀の当日のナレーションは、どうしても故人の生い立ちを中心とする人生表現となるが、通夜と同じでは拙いとの思いから、通夜バージョンを新しく構築してみたのである。

 この住職とは、何十回も葬儀をご一緒したことがあり、私の当日バージョンはご存じだが、それを言い訳にされたところで、また奥様から噛み付かれた。

「私だって何度も久世さんのナレーションを拝聴しているわ。今日のお通夜は、それらと全く違っているの。初めて聴いたわ。きっと新作よね?」

 住職は、黙ってビールグラスを見つめられ、事の成り行きを眺める料理屋のオヤジは苦笑で固まっている。

 そんな時、奥様がとんでもないことを言い出した。今、ここで、ナレーションをやって欲しいと言われ、隣席の女性まで手を叩き出したからたまらない。私は、すぐに制する発言をした。

「あれは、故人の遺影が存在して初めて出来ることなのです。それにBGMなくして出来るものではないのです」

 そうお返しすると、お酒の勢いもあったのだろうが、びっくりする言葉が飛び出した。

「ご遺影? オヤジさんを故人にしましょうよ。音楽? 流れている有線のチャンネルを変えましょうよ。何か悲しいイメージの曲を探してよ」

         明日に続きます
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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