2003-11-09

投票を終えて    NO 600

昨夜、あるホテルで行われた会合に出ていた。円卓を囲んで次々に運ばれてくる料理。ここで臨席の方々の話題に料理の予算が飛び出し、それぞれの方がそれぞれのご意見を出されていた。

 その決の矛先が私に向けられ、「これは、『飲み放題』でしょう」と返すと、全員一致で「幹事が厳しい予算で苦労されたようだ」と結ばれた。

 料理人さんたちが手を掛けられた様々な料理だが、そこで素朴な質問が多くあった。

 それは、一品ずつの食材。食べてみるまで分からないものが多く、テーブルにいる誰かが勇気を持って毒見役をして解説。みなさん、それから箸をつけられる光景が多かった。

 高額な予算で行われる披露宴やパーティーにはメニューの添付があるが、一般的な懇親会の予算では無理なこと。しかし、カード1枚で解決できるサービスなのだから、そんな配慮もホテルサービスだろうと感じていた。

 さて、今日は日本全国選挙一色。大阪は雨模様で投票率の低下が心配だが、投票したい候補者がいないという方々に、その意思を表す方法が棄権しかないというのも考えもの。今後の選挙は、そんなところにキーワードがあるように思えてならないところ。

 前回の選挙の際、この「独り言」で書いたことをもう一度書かせていただくが、選挙で大嫌いな光景がふたつある。

 ひとつは、テレビのニュースで伝わってくる「万歳」の光景。もうひとつは、ダルマの開眼である。

 私は、司会者だが、総合プロデューサーが本業。プロとして見ると、あの光景は最悪のシナリオ。

 「これで金儲けが出来る。万歳」「これで我々関係者が安泰だ。万歳」

 今の社会構造の中、そんな光景に見えてしまうのは確実。少なくとも、文化国家の形成に万歳は似合わないと断言する。

  一方で、ダルマの開眼だが、ダルマにふたつの目。事務所開きに片方を入れ、当選の暁の万歳時に目出度く開眼とされているが、告知日にはなし、当選で初めて 片方だけに墨を入れ、隻眼のままで議員活動をする。そして、公約を見事に果たすことが出来た時、開眼というような発想が出来ないのだろうか?

 そんな愚かな古式に甘んじている政治家に、改革なんて全く期待薄。

 「政治は、もはや死んでいる」と何処かの社会学者が発言していたが、死んだとなれば我々葬儀社の出番。山ほどの死を体験すると他人にやさしくなれるそう。また、死を知ると自然に「生」を学ぶとも言われる。

 当選された議員さん。どうか「死」を学んで「生」を活かしてくださるよう。殺伐とした社会、そこでの死の教育は重要なのです。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
携帯で下のQRコードをスキャンするか
 または
携帯に下のURLを直接入力します。
URL http://m.hitorigoto.net