2004-06-15

好きだったのに   NO 822

三菱自動車が大きな問題として採り上げられている。特に大型バスとトラック部門の「ふそう」ブランドが崩壊しそうな状況だ。

 命につながる車のメーカーが、密室会議で欠陥を秘めたら大変なこと。すでに犠牲者が出ているのが残念である。

 私は「ふそう」のバスが好きだった。小学校5年生から中学までの5年間、住吉区の学校へ通学していたが、いつも天王寺(阿倍野橋)まで市バスに乗り、近鉄百貨店の前から上町線のチンチン電車を利用していた。

 小学生当時の子供料金は、環状線の全線が5円。市バスが10円だった。もちろん定期券を購入していたが、この頃のバスの半分がボンネット型。「日野」「いすず」「ふそう」「UD(ニッサン)」の4種だったと記憶している。

 中学生になった頃、ボンネット型が段々少なくなり現在のスタイルになっていたが、「日野」以外のバスはエンジンボックスが後方にあり、その上にあたるシートがびっくりするほど高い位置に設定されていた。

 「日野」のバスのエンジンは全体的に下側にあり、最後部席の高低に差異がなかった。

 「ふそう」が好きだったというのは、エンジンの音。

記憶する音感で表現するなら「日野」は「ルルル」、「いすず」は「ブブブ」、「UD」は「モクモク」であり、「ふそう」だけが何とも言えない心地よいエンジン音を響かせていた。

 それらは、学生の頃のアルバイトでも同じ。スキーシーズンの土、日に観光バスの助手をやり、板の積み降ろしやタイヤチェーンの装着などを手伝っていたが、アルバイトの目的は自分も滑ってくること。いつも疲れて帰路の助手席で居眠りしていたことが懐かしい。

 このバス会社には「ふそう」と「UD」があり、勝手な選択で「ふそう」の車を優先する行動を取っていたのだが、その理由が安眠できるから。

 ベテランの運転手さん達の意見も同じ。「ふそうは、いい音で走るだろう?」という言葉を何度も聞いた。

 そんな時代から比べるとバスの進化は著しいものがあるが、「ふそう」が窮地に陥っているのは寂しい話。

 バスは多くの人を乗せて走るもの。歴史と伝統のある「ふそう」。素晴らしいエンジンを搭載しても、乗り物は「凶器」と呼ばれる危険性を秘めており安全が第一。

 企業社会にあって生まれた「神話」というものは、そんな基本を忘れて逸脱したら崩壊する。「凶器」にさせた行為は「狂気」の沙汰。

私の青春時代までの「ふそう」に対する「驚喜」の思いが無残にも。真摯に受け止めて原点に立ち返り、安全に向かって「共起」することを願っている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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