2005-08-17

余震のないように  NO 1243


 出社すると同時に事務所に電話が入った。「ナレーションの取材が遅れています」と担当責任者からの一報。この暑さ、また夕立を心配しながら出来るだけ短いバージョンをと考えていたが、ご家族の皆さんは「あれも、これも」とご要望されているのだろうかと心配が。

  お寺の責任役員をされていた故人、ご本山からの弔詞もあるとのこと。また、昭和17年に卒業された教え子さんの弔辞も入る。そこにナレーションとはいよい よ大変。そこで発想したのが風変わりな形式、ナレーションの結びに人生100点満点というストーリーを創作することに。

 私が担当の式場であるご自宅まで、車で30分を要する。開式は午後2時、逆算すると午後0時までに取材資料が欲しい。

 まだかまだか?と待っていると苛々して血圧が上昇する。やっと電話による取材情報が入ってきたのは午後0時25分、そこから30分で完成させて車で出た。

 開式30分前に式場到着、すぐに打ち合わせに入ったが、予定外だったのが寺院お控え室の変更。お隣で決まっていたのがお寺から直接ということに変わっていた。

 装束を着用されて暑い中を5分も歩いていただくことも大変だが、ご入場のタイミングの把握が難しい。そこでインカム中継で流れを入手することに。

 やがて開式、ご導師の表白、ご本山の弔詞が済み、教え子さんの弔辞が始まった。<末文まで進んだなと思ったら、そこから「皆さんもご一緒に」と「仰げば尊し」をご唱和され、これは中々素晴らしく多くの方々の心を打ったよう。

 このムードに乗っかって始めたナレーション、急遽変更した選曲でイメージチェンジ。ちょっとホテルバージョンでナレーターを。

 会葬者の焼香が終わって閉式の辞、ご導師と法中が退出されてから玄関で謝辞。僭越なことに委員長、喪主様から「代行せよ」との仰せ。そこで型破りなカーテンコールバージョンを進めることに。

 多くの参列者の皆さんの拍手で終わった謝辞、そこから始まった「お別れのひととき」が大変。驚くほどの方々がお入りになってタイムオーバー。それは私にとって大歓迎のこと。そこから「命の伝達式」に進展してご出棺となった

 火葬場に向かう車中、いよいよ水分不足を感じる状態。昨日も今日も食欲のない体調に不規則な食事、ちょっとお疲れモードに陥った夏の日だが、忘れ得ぬ葬儀となったような気がしながら、故人の100点満点の人生に100点の担当が出来ただろうかと反省を。

 そんな今日、また大きな地震が発生していた。自然とは本当に恐ろしい。戦争なんて馬鹿げた行動する前に、もっと謙虚になって「生かされている」と考えよう。

 今日の<HOME>接続は、函館から発信される「空飛ぶ水冠」さん。コラム「迷いの窓」が3号連載で更新されていました。
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