2005-08-26

ニュースの光景から  NO 1252


 携帯電話の登場から、いつも指名手配されているような感じ。それはプライベートな時間を確実に消滅させてしまったようだ。

 <これも、時代の流れ?>とは思うが、ポケットベルが登場する前の時代が懐かしい。

 何とか時間を見つけて散髪に。顔剃りの剃刀が咽喉元にある時<地震よ、来るな>と思ってしまう。こんなことではリラックスタイムになる筈もないだろう。

 葬儀に携わる私の仕事はグローバル、今日もスタッフから難しい注文が。満中陰を迎えられた喪主様が皆さんに出される感謝のお手紙、その添削を頼まれた。

 送られたお父様に対する思いを綴られた文面、その添削なんて簡単ではない。客観的立場から少し離れて喪主様の立場に入り込むことも必要、30分ほど要して何とか書き上げておいた。

 そこへ塾生から電話、また難しい相談を受けることに。明日に行われる悲しい葬儀、そこで「命の伝達式」に代わる形式がないだろうかとアドバイスを求められた。

 故人は30代、釣に行かれたところでお年寄りが海に落ち、泳げないのに助けようと飛び込んでお二人とも亡くなられた不幸な出来事。お通夜と葬儀の光景が誰にも浮かぶような悲痛な式場。

 そこで提案したのが「感謝・功徳・供養」の伝達式、司会技術の長けた彼女だからきっと厳粛に行えるだろうと励ましておいた。

 接近していた大型台風も我が大阪を避けてくれたよう。お陰で助かったことがいっぱいあるが、これから来襲する地域に被害の発生がないように願いながらニュースを観ていた。

 コイズミ劇場なんて言葉が登場している選挙、戸別訪問みたいな光景がいっぱい映り、<もう選挙が始まった?>と勘違いするような様相。ふと、選挙の法律がどうなっているのと疑問を抱く。

 新党だけではなく鞍替えも多くあるよう。みんな自分の当選を第一に考えた行動で共通しているのは確実、素朴な心情で応援してくれていた人達を悩ませているのは問題だ。

 党の選挙カーで繰り広げられる演説光景も多いが、下手な演説と音響システムの悪さが情けない。拡声器は多くの人々に聞こえるために生まれたものだが、その活用方法の重要さに気付く政治家は皆無のよう。

 避難時の誘導に使用されるような簡易システムを持って駅前で立っている姿、そこに哀れみさえ感じてしまう。

 伝達する言葉、それを多くの人達に効果的に伝える。そこで音響の重要性に無神経な人に他人への配慮を求めるのは無理。時代は21世紀なのに、演説は明治時代と変わっていないような気がする。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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