2005-09-07

夜長を前に?  NO 1264


 日本海に抜けた台風、お陰で大阪の朝は時折に強風が吹く程度、雲間に見える予想外の青空を眺めながら今回の幸運に感謝し、恐ろしい被害に遭遇された方々のこと、そしてこれから襲来する北国の人たちのことを想う。

「台風は季節の機関車」と気象予報士が語っていたが、日中の暑さが厳しくとも、日暮れが早くなったことで秋の訪れの近いことを知る。

 大阪の1年分の雨が一挙に降った鹿児島や九州、また、1パーセントだった高松や高知のダムが100パーセントになった自然の猛威に恐怖感。

 さて、昨夜、日付が変わって銭湯に出掛ける際、我が家の入り口にある「月下美人」の花が咲いているのを見た。独特の香り、出勤時に確認すると花を閉じており、一夜だけということから花言葉である「儚さ」を実感した。

 花鳥風月を詩に詠む日本の文化、そこに「命」を感じる仏教文化に帰依する思いを改めて抱くが、移ろいゆく四季の変わり目に日本の将来を託す候補者達の声が虚しく聞こえる。

 団塊世代である私、最近、友人、知人から冠婚葬祭に関する郵便物や電話が多い。会って話題になるのが「もうすぐ定年」ということ。そこに一抹の寂しさを覚えるが、選挙を前に年金問題も活発、全員が将来に不安を感じている現実も悲しい。

 弊社は厚生年金に併せて「年金基金」に加入しているが、過去のバブル崩壊時には多分にもれず資産運用に問題が生じ、基金の事務局から「見直し」という淋しい通知があったことを思い出す。

 少子高齢社会の到来は誰もが予測できたこと。それを国の専門家達が出生率の予測を誤ったなんて大問題。老後に「スズメの涙」とは情けない。

 地球上で「こんなことになるなんて!」ということが増えてきているが、テロや戦争という人災や、地震、台風という天災の現実を未来への警鐘として学びたい。

 テレビのCMでは保険会社のオンパレード、保険とは「バクチ」そのものの「賭け」をビジネスとしているもの。

「無事故だった」「大地震が発生しなかった」「火事が起きなかった」「入院することがなかった」「死ななかった」ということで保険会社の勝ち。考えたら恐ろしいビジネスではないか。

 これらは統計に基いて掛け金が設定されているのだろうが、バクチが流行する社会に大きな不安を感じてしまう。

 今日のテレビのニュース、神奈川県で粉末消火器を車から撒き散らした事件を報じていたが、アナウンサーの「何者かが」という言葉が気になった。

 学校に不法侵入してガラスを割ったりしても「何者かが」とのコメント、いっそのこと「何者か」を止めて「馬鹿者が」に変えたらどうだろう。言葉の「品」には欠けるが、愉快犯のセーブに効果があるように思っている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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