2006-08-08

悲惨な戦争  NO 1590


 確かこのタイトルのフォークソングがあった筈。ピーター・ポール&マリーが歌っていた反戦歌だったと記憶しているが、若かりし頃に歌っていたことを思い出している。

 今月前半のテレビ番組は戦争をテーマにしたものが多いが、体験された方々が「語り部」として伝えられる想像を絶する世界、そこに人間が巻き起こす恐ろしい現実を目の当たりにすることになる。

 今日も硫黄島玉砕の悲惨な史実が語られていたが、今でも1万人以上の遺骨が地下壕にそのままとなっている事実に手を合わせた。

 一方で、長崎から出張していた広島の造船所で原爆に遭い、半身大火傷の状態で列車で長崎に戻られ、そこで2度目の原爆という信じられない体験をされた山口さんという方の
存在も知った。

 90歳を迎えられているが、国連で講演をされる光景を観ながらいつまでも「語り部」として伝えていただきたいと願わずにおられなかった。

 戦争という辛いご体験をされた方々の葬儀を多く担当してきた歴史もある。ご家族から拝聴した戦時体験は悲しいことばかり、そこで生死を共にされた戦友の絆に対する特別な思いが存在することも学んだ。

「主人が夢で魘されていましてね、<普通じゃない!>と思って起こしたら初めて話してくれたのが戦場の思い出話でした」

 そう語ってくださった奥様もおられたが、晩年にご夫婦で東南アジアのあちこちに出掛けられ、戦死された戦友達の遺骨供養を目的に現地の人達とも交流が始まり、自分が導師を務めるために多くの宗派のお経を覚えられたというお方もあった。

 私のオヤジも戦争体験があり、それこそ死ぬまで満州の厳しい寒さを語っていたが、そんなところから我が家には多くの軍歌のレコードがあった歴史もあり、私の年代では知らない筈の多くの曲も知ることになった。

 そんな記憶が葬儀で結構役立つことになったのも不思議なこと。献奏曲を数曲選んでいただくと軍歌が入ることも多く、冒頭の歌詞を持ち出して皆さんに驚かれたことも少なくないが、最も多く選曲されたのは軍歌ではない田端義男さんの「帰り船」だった。

「こ の曲を耳にするだけで昔を思い出す。戦友の顔が浮かんでくる。よくぞ日本へ帰ってこられたものだ」と仰ることが多く、いつの間にか私も好きな曲になり、招 かれたお年寄りの会で突然に「カラオケを歌え」と命じられ、そこにあったギターの弾き語りでこの曲を歌ったら数名の方が泣かれた思い出もある。

 そうそう、その泣かれた方々が男性ばかりではなかったことを忘れてはならない。女性の方もおられ、「亡くなった主人がよく歌っていました」という言葉にグッときたことをはっきりと覚えている。

 その出来事には続きがある。あちこちの会から招待を受けることになり困ったことに。そこで歌だけではダメと思って「落語の枕」みたいなオシャベリを勉強したことも懐かしいが、それが講演に役立っているのだから感謝をしなければならない。

 人それぞれの戦前、戦中、戦後があろう。それは辛くて厳しくて悲しい思い出の時期。誰もが二度と体験したくない悲惨な戦争の歴史である。

今、世界中で30箇所ぐらいの紛争が繰り広げられているそうだ。イスラエルとレバノン問題の悲劇も続いている。過日、比叡山で世界中の宗教者が集まって平和への祈りを願う式典があったが、それが「命」という波動となって通じてくれると信じたい。

 戦争とは「悲劇」のシナリオの最たるもの。そのプロデューサーの罪は許し難い重罪だと断言する。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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