2006-08-13

「利他」から?  NO 1595


「利他」から? NO 1595
 弊社が加盟する協会のメンバー各社を訪問し、社長や社員の皆さんにお客様から喜ばれたサービスを聞くことが何より勉強になるし、「よりベター」を求めて論議を重ねるのが有意義な時間となり、私が好きなひとときである。

 塾生達からのメールや「問題指摘を」と託される編集ビデオやDVDを観るのも非常に参考になり、それらは弊社の貴重なソフト財産の構築に大いに役立つことになり、彼らとの交流に手を合わせているこの頃でもある。

 そんな映像の中に大規模な社葬があり、受付から少し離れたところにセッティングされたメモリアルコーナーの中に「利他」という大きな文字が書かれた額が掲示されていた。

  それは、故人の座右の銘だったと知ったが、ふと、ある葬儀でお会いした禅宗のお寺様から教えられた「慈・悲・喜・捨」という言葉を思い出し、それが「四無 量心」と呼ばれる座禅にもつながる行動実践の基本で、それこそ「利他」の原点とも言えるとご指導くださったので紹介を。

 私は「慈曲」と いうCDの監修に携わったこともあり、「慈」という文字が大好き。「慈」は慈しむ心で友愛に精神、「悲」は悲しみや苦しみに同情すると共に、それを理解し ようと努力する心。「喜」は他人の幸せを素直に喜べるハート、「捨」は悟りで無の境地に入り、他人に施しをするような姿勢を抱くことになるようだ。

 そんな聖人みたいな人は少ないだろうが、少なくとも宗教者はそんなことを学ばれ、我々衆生を導くお立場として存在されているのには間違いはない。

 最近、そんなお寺様達との会話で問題になっているのが戦争に宗教が絡んでいる現実。そして結びに必ず仰るのが「仏教が大切。平和に仏教ほど役立つ素晴らしい宗教はない」ということ。

私 も少しは宗教を「かじった」歴史がある。確かに世界の宗教の中で仏教は平和を説く理想のパワーがあると信じている。しかし、祈ったり、念ずる道だけで平和 の実現には遠いもの。国内に騒がしくなっっている靖国問題を含め、仏教者とされてのスタンス行動をどうしても願ってしまうのである。

 数日前、ある会合で靖国問題が出てきた。私も意見を求められたので発言をしたが、もっと手近な問題比喩として各家庭の墓地移転をテーマに話した。

 故郷にお墓がある。子ども達が核家族になり都会に家を構えて居住している。そんな時に墓地に土砂崩れが発生して移転を余儀なくされた。そこで別の地に墓地が造成され改葬されることになったのだが、この際に都会の近くの霊園にという考え方もあるだろう。

 そんな掘り下げたテーマから徐々に神道という部分に進み、複雑な問題を一つずつ話し合っていくと意外と「なるほど!」という意見も飛び出していた。

 中には韓国や中国から宗教者を招き、彼らの国籍の人達の霊を彼らの儀礼作法で引き出してもらい、連れて帰っていただくという突飛で奇想天外な発想だが、それに結構賛同が多かったことが驚きだった。
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