2006-08-07

酷暑とは暴力?  NO 1589


 広島から発する平和祈念の日、世界から悲劇がなくなるように手を合わそう。

大切な人を喪うと悲嘆が生じる。それは決して時間が解決してくれるものではなく、死を受け入れられる「受容」なくして悲しみが薄らいでいくことは不可能だと分析されている。人生も様々だが死の迎え方も様々、昨号に書いた「被害者」だけにはなりたくないものである。

 これまでの多くの方々のご葬送を担当させていただいた。そのご仏縁からご遺族と交流が続いていることも多いが、悲嘆の心情は上述の分析の背景に想像を絶する複雑な心理が秘められているようで、それは体験した人にしか理解出来ないもの。

  私の歴史の中に外国で亡くなられた方の葬儀を担当したことも少なくないが、「ご遺体」で帰国されたケースと「お骨」で戻られた場合では、その対応にあって 微妙な異なりがあることを学び、悲嘆軽減に絶対条件となる想いが共通していることも知った。それはご遺族が故人が死を迎えられた場所を訪れたいというこ と。

ある登山家の死があった。終焉の場所は素人では絶対に無理という山だったが、ご遺族が結束されてトレーニングを積まれ、その山が望める場所まで行かれたというケースもあった。

 悲嘆にくれる状況では何か目的をつくることが大切だと言われている。この山のケースではまさに挑戦ということになるし、その目的の達成からしばらくの時間経過があって軽減スピードがアップするとも分析されている。

  さて、今日の大阪は最高に暑かった。枚方市では38度を超えていたそうだが、こんな気温では外に参列する会葬者の体調が何より心配。そんなところから大阪 市の葬祭式場「やすらぎ天空館」の人気が高く、重なってしまってお客様が日程変更をされるケースも多くて申し分けない状況になっている。

大阪市内で最も便利な葬儀式場として認識され、今や利用出来たら「幸運なお客様」という不思議な呼称が我々業界内に生まれ、そんな環境空間に対するニーズの高まりが弊社の式場への問い合わせが増えてきた要因ともなっている。

  この暑さの中では受付に座っている方も大変。近所の方々が体調を考慮され参列出来ないという悲劇も多い。終焉の儀式で「心残り」が生じることは残念で寂し いこと。悲しみの場に環境という苦痛が伴うことは避けたいもの。風雨、気温という自然が時には「暴力」みたいな存在になることもあるのだ。

そうそう、前述の天空館だが、立派な葬儀式場なのに音響設備が今ひとつで勿体ないところ。弊社が担当する場合はすべて機材を持ち込んでセッティングし、ハプニング発生で機材故障の保険として式場の音響をいつでも使用できるように準備して活用している。

 音響の電源を入れチェックを始める。全スパンをしようすると6本のスピーカーを使用し、音楽専用のスピーカーを祭壇の両側にセッティングするが、テストの音楽を静かに流し、それでどのスピーカーに問題があるか瞬時に聞き分けるのも永年の体験から生まれた勘である。

 参列者席の位置によってどのように聞こえるかも大切なこと。そこでスピーカーの位置や方向を変更することも重要である。

  パワーアンプで便利な機材がある。前方スピーカーと後方スピーカーの音量を「つまみ」を左右に回すだけという簡単な作業でバランス調整可能と代物だが、式 場内の設置場所、また配線のジャック接続の方法によって「つまみ」の左右が逆になるところから、マニュアルとして「内」と「外」という区別で決められてい る。

 しかし、こんな簡単な取り決めを時間に追われて反対に接続していることもあり、時にはそのまま<今日は、反対>と意識しながらマイクを握っていることもある。

 音響とは、重要で不可欠な設備投資である。プロによる環境設定に対する微調整を行えば素晴らしい音質が生まれるものだが、音質に頓着しないスタッフは「耳が痩せている」というだけではなく、すべてのことに「よりよいもの」を求める心情が薄いとも言えるだろう。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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