2007-04-25
嘆かわしき哉 NO 1845
めったに自宅の風呂に入ることはなく、いつもはシャワーだけの銭湯大好き人間の私。今日は、久し振りに湯を入れてゆっくりと湯船に浸かった。なぜなら自宅前の銭湯の休日だったから。
満タンになったお湯、そこに「箱根の湯の素」だけでは色が薄く「道後の湯の素」をブレンドして足したら入れ過ぎたみたい。試しに腕を入れたら痒い感じがしたので湯を足して薄めて入ったが、大切な水を無駄に使ってもったいない思いで反省を。
遠方の葬儀に出掛けていた私、ちょっとお疲れモードで帰ってきたら<!?>という電話があった。
ご当家担当責任者を指名し、「電話をして欲しい」とのこと。局番を調べたらご自宅のある地域のもの。そこでスタッフに連絡をして「電話を」と伝えた。
しばらくすると「解決いたしました」との報告が。それによると参列されておられた議員さんが「葬儀社名と会社の所在地は?」と後援会の役員さんに質問があったそう。
「それって、何か問題が?」と確認したらそうではなく、あんな葬儀は初めてというご体験からだそうで、心配事が一気に嬉しい出来事となって安堵した。
朝から「社長、今日は遠方のお客様の司会を」ということで担当申し上げたのだが、式場の表側に設置されていたメモリアルボードを見ながら「これだ!これなんだよ!」とスタッフの成長に喜びを感じた。
お預かりした写真をイメージ編集するだけではなく、そこに表記する文字言葉にこそプロとしての意義があるとの考え。それが「それなんだよ!」と、命の伝達の意味が短い言葉で上手く的確に表現されていたからだ。
そんな思いを抱きながら塾生のブログを訪問したら、ご遺族やご親戚の方々から「有難う」との心からなる感謝のお言葉を頂戴した葬儀が出来たとの喜びの体験談があった。
懸命に担当する姿勢が伝わってくる。売り上げやビジネス抜きで悲しみを理解しながら「ご仏縁」という「一期一会」を大切にするプロの仕事、それがやっと意識づけられたようで嬉しい思い。ここで「頑張りなさい!」とエールを送る。
今日、大阪の若いお寺さんと1時間ほど話し合った。テーマは「これからの葬儀のあり方」だが、そこで九州で数年間の修行をされており、間違いなく私の塾生 が司会をする葬儀にご仏縁が結ばれていた可能性の事実を知ってびっくり。世の中の狭さを改めて教えられた思いを抱いた。
地域は敢えて伏せておこう。この「独り言」を読んだ九州の塾生達が<!?>と感じているだろうが、再会した時に秘密を明かすことにしよう。
さて、JRの慰霊式典が行われていた。テレビや新聞のニュースでもその模様が伝えられ、「悲しみ新たに」「安全を誓って」というような言葉が飛び交っており、「埋まらない溝
という表記も多かったが、昨号で指摘した「JRが主催する慰霊式はそれこそおかしい」という意見は見つからず、まだもって本当の意味での遺族の悲しみが社会では理解されていないことに寂しさを感じた。
JR西日本の社長の言葉に「時間を止めてしまった」というのがあったが、この停止は永久に続くものだし、何かで「ふと」思い出したら瞬間にその時に戻ってしまうことと知りたいもの。
大切な家族という存在を病気で亡くしても尋常ではない悲しみがある。加害者と被害者の溝を埋めるのは簡単ではない。その溝を深くしてしまったのは悲嘆に対する理解がなかったから。間違いなく何年経っても解決出来ないほど心に傷を与えてしまった人達の存在があるだろう。
世の中の「式」には「施主」という存在が付きものだが、加害者が主催するなんて「慰霊」は「異例」と断言する。それを分からずして「安全は無理」としたためておく。
深夜に観たニュース、北朝鮮の軍事パレードの光景があった。偉大な将軍様の隣に「山ほど」勲章を貼り付けたオジサン達が立っている。あの姿を目にして何も感じない国民は普通ではない。
スケールの大きい人文字みたいなこともやっていたが、あれは宗教の教祖や独裁国家のトップが好む低次元なパフォーマンス。未だにあんなことをやる企画を進めるなんて羞恥の世界。世界中でどれだけ多くの人達が軽蔑しながら嘲笑していることだろうかと想像する。