2007-03-12

また陽が昇って NO 1802


 3月10日、朝から花粉症気味。やはり風邪症状が強くなってきてしまい、そのまま真向かいの医院へ直行。「即効性のある薬は?」とお願いしたら「特別室へどうぞ」と奥へ。

 そこは、昨年に手術に至った病気を初めて確認することになった超音波機器のある部屋、そこのベッドで点滴を受けた。

 基本の点滴液に何種類かの薬剤が注射器で混合される。少し速めのポタポタ感で30ほどで終わり、何やら身体がホワンとする。それだけで風邪が治ったような気がするのだから不思議と言うよりも単純な身体である。

 予定通りの上町線に乗った。天王寺駅の切符売り場らしきところで「住吉」までと言うと、「切符はありません。そのまま車内へどうぞ」と言われ、不安げに行列の最後尾に並んでから乗車。車内の案内標示から降車時に200円を入れる方式ということを知った。

 途中の天下茶屋駅の看板には「安倍晴明神社まで100メートル」とあり、陰陽道にゆかりある最寄り駅が<ここだったのか!>と再認識。そこにつながる名称史跡が次の北畠駅周辺にもあり、阿倍野のいう地名の文字を思い浮かべていた。

 住吉駅まで焼く15分、会場は住吉大社内の結婚披露宴が行われる場所。この日も13組の披露宴があって賑やか。片隅に追いやられるような我々「還暦同窓会」の受付、その周辺にそれぞれがそれぞれらしい齢を重ねた姿で集まってきていた。

 仙台から来た女性と埼玉からやって来た男性、2人とは48年振りの再会。互いが「**君!」なんて会話で瞬間に昔の時代に戻ったが、数名が亡くなっていた事実が寂しくて悲しい思い。彼らとの交流の中のひとこまを思い出しながら手を合わせた。

 4クラス合同で3名の先生もご出席、我々の先生が五十音順に生徒の名をスラスラと暗証されたことに驚き、「**は**、久世は栄三郎」だった」とフルネームが発せられたことにもただびっくり。そこから始まった宴会では懐かしい話題がいっぱいだった。

 席は抽選、私の隣に座ったのは女性で、彼女は朗読技術がずば抜けてあり、いつも教科書を読んでいた印象が残っていたが、「60歳でしょう。これから人生をいっぱい楽しむの。これからよ!」と自分に言い聞かせるように声高らかに宣言していた。

 総人数の四分の一が集まった還暦同窓会、近くのラウンジを3時間ほど貸し切って2次会も行われたが、「薄くして」と頼んだ水割りが結構濃くてフラフラ、お開きと同時に天王寺駅まで3人で上町線に乗り、再会を約してタクシーで戻った。

「心地良い」「心地酔い」という感じ。次の日の予定のこともあり、薬を服用してそのままオヤスミとなった。

 そして、3月12日、車で遠方まで出掛けてきたのだが、台風並みの強風は予定外、お陰でスケジュールに変更が生じ、日曜日ということもあって途中の観光地で渋滞が発生、得意の山間部抜け道作戦を大いに活用した。

 すべての予定を終え、大阪に向かったら。20キロ先で事故渋滞の情報が。そこで本線から離れて山間部を走行。ちょっと花粉症気味が強くなったが行程変更は成功だったよう。予想以上に早く戻って来ることが出来た。

 走行距離460キロ、お世話になっている大切な方にお会いすることが出来たことに手を合わせ、ノスタルジックの世界に過ごすことになった2日間を終えた。
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