2007-03-07

昭和の名曲から  NO 1798


 日常生活の部屋の中、そしてパソコンの中も同じ、<これ捨てずにもうちょっと置いておこう>と思っている内にいっぱいになり、それでも中々思い切ることが出来ない性分なので困っている。

 この「独り言」の原稿もアップしているのに残している。それだけでも大変な量なのに、何かしらCD保存する気がしない。昔の限られた容量のテレビ型パソコンなら間違いなくパンクして固まっていただろうと想像する。

 どれだけ文字を打ち込んでも重量そのものに変化はないが、打ち込んで発信を続けてきたプロセスには重さを感じ、何やら責任があるように思ってしまうこの頃でもある。

 最も無責任で便利な逃げ口上は「生きた証し」の羅列だが、続けるという行動から指先の動きが早くなるに従って背中が重くなって来るのも確か。それは、ブログを発信される方々が共有される悩みかもしれない。。

 知人や友人のブログを訪問するとコメントの多さに驚いたのがあった。日に数十人近い人達が書き込まれ、それらをうまくコントロールしながら返信対応をしていたから。

 そのページだが、半月ほど前からコメントが急減。そして毎日更新していたものが週に3回程度になった。

 その彼から電話があってその事情を知った。招待形式のメンバー性になった世界に本拠を移転したそうで、そう言えば招待メールがあったことを思い出したのだから頼りない話である。

  互いに団塊世代で、つい先日に昔のマンガの話題で盛り上がった。小学校3年生というと三丁目の夕日の時代の始まりの頃だが、貸し本屋さんがあちこちにあ り、互いに借りたものを交換し合うのが当たり前。我々2人が行っていた貸し本屋さんの奥に小さな部屋があり、そこでその店のオヤジさんが1枚5円というお 好み焼きを売っていたのである。

 味は不味かったが、ソースが鉄板の上で弾ける音と香りが今でも鮮やかに甦ってくるし、何より、そのお好み焼きを食している時間中の貸本が何でも無料というのが魅力だった。

  私が9歳だった昭和31年だが、その年の新聞記事を調べたら「日本の国連加盟決定」「第一回世界柔道選手権大会」「メルボルン・オリンピック」という見出 しがあり、「ロックンロール」「慎太郎刈り」がブーム、「三種の神器」「一億総白痴化」「マネービル」「ケセラセラ」が流行語。歌では大津美子さんの「こ こに幸あり」や曽根四郎さんの「若いおまわりさん」そして三橋美智也さんの「リンゴ村から」からヒット。テレビの「お笑い三人組」や「名犬リンチンチン」 に人気とあった。

 上述の3曲とも覚えているのも面白いが、記憶というものは不思議なもの。何かの曲を耳にした場所の光景までが浮かんで来ることもあるからだ。

 角にあったタバコ屋さんを曲がった時、狭い路地裏の何処かの家のラジオから流れてきたのが「ここに幸あり」で、声量豊かな近所のおばさんがカラオケで歌われた際、自然に涙が出てきたのは去年の暮れだった。

 深夜は大荒れ、朝は青空。午後から鉛色の暗い空だったが、夕方から青い空。「嵐も吹けば雨も降る」で始まる昭和の名曲の1曲だが、ある披露宴で高齢の男性が歌われたのも素晴らしかった。

「君を頼りに私は生きる」という歌詞もあった筈だが、いつか何方かの葬儀で、その歌を歌われる方が登場されるような気がしている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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