2003-08-16

斉唱と献唱に送られて     NO 517

昨日は、58回目の終戦記念日であった。

 毎年、この日になると思い出す葬儀がある。

 数年前、8月の13日に逝去され、15日の午後にご出棺という葬儀だったが、海軍ご出身の方で、通夜に戦友という方々が数人参列され、全員が当時の海軍の制帽をかぶられ、一人の方は海軍の旗まで持参されていた。

 お寺さんの法話が終えられた後、その方々とお寺の庫裏に設けられた休憩所でお話しする機会があった。

 それぞれが戦時中の思い出話に花を割かせ、遺族側が用意されたお酒やビールを酌み交わされているが、飲み始める時、故人や戦死された多くの方々の名前を挙げながら「献杯」をされた光景に男の美学を感じたものだ。

 「君は、昭和22年生まれか? 戦後の生まれだ。君のオヤジが戦死してたら、君はこの世に誕生していなかったことになるぞ」

 話の輪に入って行くと、そんなご高説も飛び出した。

 葬儀で行うナレーションの取材が目的であった私だが、進められるままにビールを飲むお付き合いまで進展し、思わぬ意気投合が生まれつつあった。

 「皆さんにお願いがあります」
 
 そう言って畏まった私の姿に皆さんが驚く。「明日の葬儀の式次第にご協力をお願いしたいのです」

 そこで提案した私のシナリオ、それは突飛と言われるかも知れないが、今回の故人をお送りされる式次第には不可欠だと力説した。

 「それは、ええ話だ。ワシは賛成で乗ったぞ。皆はどうじゃ?」

 通夜ぶるまいの場が一挙に盛り上がるひとときに至るように、皆さん全員が賛同してくれた。残るは遺族、親戚、お寺さんのご了解。赤い顔をして失礼だったが、順に、提案決行のご許可を頂戴した。

 さて、葬儀の当日。「ほどなく定められたお時刻です。ご起立ください」とアナウンスし、終戦記念日の葬儀という趣旨を説明し、国歌斉唱に進み、その後に続く開式の辞では、故人と共に戦没者に対する黙祷もお願いするコメントを発した。

 やがて、葬儀の式次第が進み、導師の引導作法が終えられた。ここで、戦友の皆さんに祭壇前に登場願い、「海ゆかば」の曲を献唱していただき、その伴奏は私自身がハモンドオルガンで演奏申し上げた。

 このシナリオ構成は、参列された方々にすこぶる好評を頂戴した。戦友の皆さんもご機嫌で、「まさか君自身が演奏するなんて思いもしなかったよ」とまでは気分がよかったが、その直ぐ後で、気分を害する言葉が聞かされることになった。

「社長、ハモンドオルガンは重たくて大変です。2人で苦労して汗だくで運んだのですから。次は、シンセサイザーにしましょうよ」

 ハモンドにはハモンドの音色がある。それが理解出来ないスタッフを叱責したのは言うまでもない。
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