2002-04-22
宗教観の稀薄 ・・・中 編
宗教とは不思議なもので、その思想や信仰パワーは、時の権力者にさえ大きな影響を与える。
これらは世界の歴史が物語っているが、日本の歴史にも「弾圧」「迎合」の政策が確実に見えることは、誰もがご理解されている筈である。
世が戦乱にある時、「今こそ宗教が」、また、平和の時代になれば「今こそ心の大切さを」と、両方から新興宗教が登場してきていることも多くあった。
私は、宗教を考える前に、大切なことを忘れてしまっているように思えてならない。それは、宗教が、土着した「生活」の中から生まれてきたことである。
宇宙の神秘、自然への感謝や恐怖、命の終焉など、誰も解明できなかった世界への恐怖観物語、それが畏敬、信仰という宗教の始まりでないだろうか、そんな偉そうなことを考えながら現在の姿に悩んでいる。
古い時代に登場された「教祖様達」は、素晴らしい知恵を与えられた科学者のような気がするし、科学の発展、それは多くの神秘な謎を解明してきたが、一度、経典に記されたことを変えることには大変な問題が発生する。一つの例が「天動説」と「地動説」に明らかだろう。
ある社会学者が「世界の戦争の歴史をひも解けば、90パーセントが宗教に絡む問題がある」と語っておられたが、人や社会の幸せを目的としている筈の宗教が、「不幸な」方向へと転じてしまうことだけは理解できない。
今、世界中で宗教に絡む戦いが繰り広げられているが、我々庶民の間にも「葛藤」という問題の苦悩が多く発生していることも事実。
悲しみの葬儀の場、そこで宗教の異なりで戦いが生まれ、途中で帰ってしまわれた光景も多く体験してきた。明日は、そんな中の一部を書いてみたい。
・・・・明日に続きます