2002-06-08

今日の葬儀から   NO 99

私が今日マイクを担当したのは、午前と午後、お2人の葬儀だった。
 
午前中は、一昨日、昨日と書いている無宗教のお方で、昭和23年生まれの方。午後は昭和22年生まれの私と同じ年の方で、自分の息子と同じ年代ぐらいの息子さんが健気に喪主をつとめられ、ご出棺前に立派な挨拶をされたのが印象的だった。

 前にも書いたが、自身の年齢が増えるに連れ、同年代、そして自身より若い方の葬儀を担当することも増えるが、最近は若い人が目立って多くなり、少子高齢社会の中での悲しくて淋しい裏面を感じるこの頃である。

 さて、無宗教葬儀は、描いたシナリオに基いて進められて行ったが、シナリオになかったことが「ハプニング」として発生してしまった。

そ れは、音響器材の一部のトラブル、式の最中にCDの活用が制限され、テープを中心にした演出を余儀なくされ、オリジナルCD「慈曲」の内の2曲を、少し 音質が低下するテープとなってしまったことが口惜しく、機械の恐ろしさを改めて認識しつつも、物言わぬ器材に恨みの視線を浴びせることになった。

ハプニングへの対応で重要なことは、慌てないこと。余裕のあるなしで対策の方向に差異が生まれ、ダブルパンチにつながることも少なくない。

私がスタッフ達に、いつも言い聞かせている次の言葉がある。

「葬儀の式場では、絶対に走るな。慌てるな。お客様からの頼まれたことへの迅速対応を除いて、走る時は二つだけ。火の発生と人が倒れた時のみ」

一方で、前夜式で交わされた「ひとこま」を、女性スタッフから入手することになった。

当日、著名な芸能人が弔問されておられ、お帰りの直前に私のことを訊ねられ、「やっぱり」とおっしゃったそうだ。

私は、その方とテレビ番組で何度か「えにし」があった。先方も思い出されたのだろう。

「あの葬儀屋の社長に叱られたことがある」と言われ、その際のエピソードをお話されたのだが、それが本番か打ち合わせ時であったか記憶にはないが、確か、我々のやりとりは、次のようなことだった筈。

「私は芸能人ですが、信念があるのです。私が死んでも葬儀をして欲しくないのです」
「その考え方は、ある意味で間違っています。著名人になったのは、社会の中での出来事。人の支えでそうなられたのです。ファンの存在もあります。それが、社会から一方的にさようならをされるのは、勝手な考えです」

 これには様々なご意見があるだろう。送られたくない権利もあるかも知れないし、送りたいという権利とは比較にならないだろうが、人と接した人生である以上、送っていただく義務もあるというのが私の考え方であった。

 この「権利」と「義務」については、実際に体験したことが何度もあり、何れ、触れてみたいと思っています。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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