2014-02-02

こんなことも  NO 3537


銭湯へ行って来た。今日の温めの湯は赤い色で温浴化粧水という掲示があった。ふとタオルを見ると鹿児島指宿温泉のもの。誤解のないように書いておくが、鹿児島県知事が物議になった出来事の前に行ったものである。

指宿に初めて行ったのは若かりし頃。10人のグループ旅行で桜島に宿泊し、次の日に砂蒸し風呂の体験で立ち寄ったものである。

指宿には忘れられない思い出がある。娘ファミリーがアメリカに在住することになり、初孫と一緒に過ごすために2泊で招待してくれたものだが、残念なことに北海道で式典の司会をしなければならず、1泊だけして鹿児島空港から札幌へ飛んだことがあったからだ。

もしも事故に遭遇すれば大変なことになると、シナリオを構成したものを北海道の仲間にメールで送信しておいたが、当時3歳にも満たなかった初孫も、もう中学2年生になっている。

さて、友人から後継者が結婚することから新郎の父としての謝辞の原稿を頼まれた。単なる挨拶ではなく、後継者に対する思いもあるだろうし、そのことにも触れながら、会場のホテルから大阪城がすぐ前に見えるので、「城」に関する格言も入れておいた。

2年ほど前に次男坊の謝辞も頼まれたが、お開きになった後で出席者に話題になったそうで、また頼むということになったみたいだ。

今日のニュースで琵琶湖近くを走行する「SL列車」の迫力ある映像を観た。JRと地元の共催で企画された観光列車のようだが、米原と木ノ本の短い区間なのに、発売すると同時に売り切れとなったみたいで、実際に走る「SL列車」の人気は相変わらず高いようである。

昨日の号で書いた沖縄行きだが、帰路は鹿児島まで「ひめゆり丸」という新造船を利用。波も穏やかで快適な船旅となったが、鹿児島から東京行きの「急行霧島」が満員状態で、広島までみんなでデッキに新聞紙を敷いて座っていた。

当時の「霧島」はSL列車で、デッキにいると煙が最悪。特に酷いのはトンネル内で、互いが顔を見て笑っていたのを記憶している。

鹿児島から大阪までは15時間。列車はそのまま終着の東京まで走るのだが、24時間以上の所要時間となるので同じ名前の列車がもう一本走っているという不思議な現実が起きていた。

大阪、博多、熊本、鹿児島となれば900キロ以上の距離となるが、今なら新幹線の「みずほ」を利用すれば3時間44分なので、当時には想像も出来なかった50年の進化である。

十数年前のことだったが、高知から福岡空港へ向かう飛行機が悪天候で出発が遅れ、やっと機内へ入ったと思ってから1時間近くそのまま。「ただ今、福岡空港の天候を確認中です」のアナウンスばかり繰り返されていた。

そ れからしばらくすると離陸したのだが、機長のアナウンスに固まった。「福岡空港周辺の天候が荒れ模様です。着陸が出来ない場合は戻る場合がありますのでご 了承を」を聞いて、同行していた人物と「搭乗するべきでなかった」「時間は掛かるけど岡山に戻って新幹線にするべきだった」と後悔していた。

そ して着陸態勢に入って<よかった!?>と思っていたら、びっくりするほど揺れ始め、窓から海上を見ると波が荒れ模様なので緊張が走り、昼間なのに暗くなっ た中を着陸出来たのでホッとして、地下鉄で博多駅まで行き「特急つばめ」に乗ったら、発車すると同時に雪が降り出し、見る見る内に雪景色となったことも懐 かしく憶えている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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