2023-12-17

疲れた日  NO 10065

人生には忘れられない日がやって来る。迎えたくない日を迎える。これも運命なのだろうが、思い出だけが浮かんでくる。

我が家の猫がうるさい声で鳴いている。変な鳴き声で深夜に鳴き始めるので睡眠不足になり朝野5時のニュースを何度も観ることに。

そんなことから深夜放送を観ることが増え、随分と番組を憶えてしまった。洋画の再放送は楽しみだが、ニコラス・ケイジとショーン・コネリーのアルカトラス島を舞台にする物語が久し振りに観てよかった。

深夜の番組でヨーロッパのトラムを紹介する番組も好きで、コペンハーゲンやプラハなどに行ってみたいが、現在のような身体になったら難しくなった。

友人が10日間の予定でベトナムへ出張しているが、彼の話によるとベトナムのリゾート地も最高だそうで、機会があったら是非行ってみたいものだ。

妻と一緒にブラジルへ行ったのは30歳の時だった。アラスカ、ロサンゼルス、ペルーのリマを経てリオデジャネイロに入り、子国内線に乗り換えてサンパウロに到着したが、羽田を出発してから36時間が過ぎていた。

サンパウロの空港で目に留まったったのが新聞記事のエルビス・プレスリーの写真記事で、それは彼の訃報記事だった。

妻の親戚の関係から郊外の高級住宅地の家に泊まったが、ラジオ放送局を有しているそうで、豪邸だった。

妻と二人で庭を歩いていると卓球をしている音が聞こえ覗いてれ見るとやはり卓球だった。小学生と中学生ぐらいの兄弟が楽しんでいたが、当時は現役の社会人選手だった私は、「ちょっと対戦しようかと声を掛けて相手をすると弟の方がびっくりして飛び出していき、10分ほどすると仲間を10人ほど集めて来た。

それぞれの相手をすると全員の目の色が変わり、通訳の人に私の歴史を伝えてもらったらびっくりされ、次々にサーブの指導を行った。

当時、私カットマンも可能で、披露してやったら衝撃を受けたみたいでどんどん人数が増え、30人ぐらいの卓球教室状態になった。

あの小学生達ももう50代になっているだろうが、再会してみたいものだ。妻は数年後の団参でブラジルへもう一度行ったが、その時はヨーロッパの大学に通う若い女性と知り合い、帰国してから「平かなの手紙やメールが届くようになり、神戸に来られた際にホテルを訪ねて三宮で食事をしたことも懐かしい。

妻の行動にはびっくりだった。様々な関係に友人の存在があり、お誘いいただいたことから世界中に出掛けており、ニュージーランド、ウラジオストク、敦煌、インド、スリランカなどにも行っていたが、インドに行く時は「行くべきでない」と止めたこともあった。

それは彼女の母親の重篤という問題があったからで、それを承知で参加してしまい、ガンジス川の近くのホテルに到着した時にやっと連絡が取れ、ツアーを抜けて自費の別便で成田空港へ帰国し、そのまま熊本空港へ行っていた。

喪服は実家へ送ってねと手配していたみたいだが、私は車で中国道を走って熊本へ行ったが、葬儀を担当してくれた葬儀会社の女性司会者の方が、花輪に会った私の名前を目にされて驚かれ、「司会は出来ません」となって大変だった。

人の世はご仏縁んで、その後に交流することになったのだから不思議だが、北海道から九州まであちこちにそんな人たちが存在することは私の人生の大きな財産である。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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