2024-01-22

凍えた体験  NО 10085

数日前、銭湯を出ようとしたら顔なじみの女性から「奥さん亡くなられたそうね。寂しいね」と声を掛けられた。彼女は鹿児島県ご出身の方で、同じ九州出身の妻と昔から交流があり、私も何度か立ち寄ったことのある「お好み焼き店」の女将さんだった。

話題は初孫のことになり、いつも銭湯で泣いていた」と言われたが、私があの子も大学
を卒業したよと話すと愕かれていた。

月日の流れ速いもので昨日は妻の35日だった。来宅してくださったお寺さんと話したが、「塗りの位牌」の準備が間に合わず、後日にお寺さんの方で対処しますと帰られた。

法要が終わってから妻の妹がやって来た。互いが「ロス」という心情で「鬱」状態になっているみたいで慰め励まし合ったが、本人が希望していた納骨先についてちょっと問題があって苦悩している。

夕食を食べに友人の割烹へ行ったが、後継者が「奥さんかと見間違った」とびっくりしていた。
次女と三女だが、年子で生まれたので似ており、何回も勘違いされたこともあるので慣れているが、マスクを着装していると余計にそう見えるのかもしれない。

今日は妻のいた施設の最終確認を予定していたが、約束していた妹が来ず、日を改めることにした。

何かを食べないといけないので環状線で天王寺駅に出て、キューズモールの中を歩いて南へ進み、阿倍野の「たこつぼ」へ行って来た。予約せずに行ったので大丈夫かと思ったが、前回に行った際に「タコ抜きの明石焼き」を注文したり「子供食堂」の募金箱に協力した出来事もあってスタッフの方が覚えておられ、カウンター席へ案内してくれた。

久し振りの「明石焼き」は美味しかった。過去に書いたことがあるが、妻と明石駅近く商店街で10件ほどの明石焼きを食べたことがあるが、私の奇人的乾燥からすると「阿倍野」の「たこつぼ」の方が美味しいと感じている。

夕方のテレビ番組で富山県の「風の盆」の紹介が流れていたが、妻が友人達都言ってよかったと言っていた記憶があるが、誰と行ったのかは思い出せないでいる。


妻の友人が「湯快リゾート」のっメンバーになっており、何度か出掛けていたこともあったが、ある時に湯村温泉の三好屋でのカニツアーに行くことになり、8人の女性軍団が出発を決めたが、温泉好きの私は新大阪駅集合のバス路線を止め、特急列車で「城崎温泉」
へ行き普通列車の似り換えて最寄り駅である「浜坂」へ行くことにした。

浜坂駅で乗ったタクシーの運転手さんに旅館名を伝えると、「あそこは露天風呂が有名ですから必ず」と教えてくれたので楽しみいっぱいで向かい、部屋に案内されると同時に露天風呂へ出掛けた。

雪が30センチほど積もっている中を100段以上もある階段を上ったが、杖を手にする身体なので大変だった。

露天風呂に到着したら寒過ぎて震える状態で扱ったが掛かり湯をしただけで飛び込んだ。

降り出した雪が強くなり、頭部に置いたタオルにも雪が積もるようになり閉口したが、寒いので出ることは不可能で、知らないおじさんと二人で入っていた。

15分ほど温もって出て部屋に戻ったら、仲居さんが来てくれ、「皆さんがお待ちです」と食事会場へ案内して貰ったが、カニの苦手な私は別メニューとなっていた。

露天風呂体験を仲居さんに話したら、私が勘違いをしていたことを指摘された。露天風呂に行く前に大浴場で温まり、それから行くようになっているそうで、直接露天風呂へ行ったことは危険だとも言われた。

食事を終えてから皆さんが露天風呂へ行かれることになって大浴場で温まってから行ったが、雪は50センチ程度にふえていた。





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