2018-11-05

NO 8362 短編小説 あの頃 ⑭

美しいバンカーは特許だそうだ寝耳に水とはこのことだった。「出向」という言葉を聞いて水野は二つのことを想像した。一つは銀行員としての研修勤務で、もう一つは自分がリストラの対象になっているのではと言う懸念だった。

「いきなりで驚いただろうが。決して悪い話ではなく、弊社の担当をしてくれている後藤君の推薦でね。是非君にと言われたのだよ」

後藤と言う人物は水野が取引をしているメインバンクの担当者で、水野が入社した頃からの顔馴染みであり、何度かドラちゃんの店に行ったこともある仲だった。

「出向とは何処へ行くと仰るのですか?」

水野は妻と幼い子供のことを思い浮かべながら不安そうな表情で、そう切り出した。

「実はね、驚くだろうが当行の取引先であるゴルフ場なんだよ。最近のバブル崩壊で大変な状況になっているのだけど、メンバーの総意に基づいて全面的にバックアップすることにしたのだけど、何より人材不足で適当な人を探していたら後藤君が君のことを推薦したのだよ」

水野は一見して堅実で平凡そうに見えるが、何事もリサーチしてから決断を下す性格で、社長が水野を認めていたように、後藤も秘められた水野の魅力に興味を抱いていた事実が判明した。

水野に降って湧いた話は吉村、ドラちゃん、金村それぞれにも相談したが、彼らは無責任なような言葉となる「面白そうだ。君なら面白いわ」と返されて悩み、妻に相談したら「3ヵ月か半年間を体験したら、将来に勉強になることもあるだろうし」といわれたが、妻のこの言葉は夫が会社の取引銀行からの抜擢指名であり、出向するゴルフ場の「副支配人」という役職に期待していた思いもあり、それが夫の将来と言う不安を勝っていたということでもあった。

ゴルフ場に勤務するのにラウンドをした体験がないとは問題で、吉村、金村、ドラちゃんに頼んで寒い中を初ラウンドしたが、キャディーさんの帯同する吉村のコースで体験したことは、ゴルフとは想像以上に疲れるもので、キャディーさんとは大変な仕事で、自分のような初心者だったら負担が大きいことを学び、浴場で初ラウンドの感想を吉村に伝えたら、「その考え方や発想が君に求められているのだよ」と言われた。

冬の厳しい冷え込みの中のラウンドは想像以上に大変で、ティーラウンドも凍っているし、朝の早い時間はグリーンの表面が凍っているのでボールの転がる異常な音までするのだからびっくりする・

前にドラちゃんの店で「初ラウンドは季節の良い時に」という話があったが、身をもってそれを体験したことになるが、吉村、金村、ドラちゃんの3人の協力は有り難いことで、社長からもお礼の電話が入っていたことを知った。

水野が出向するゴルフ場勤務が始まったのは3月1日付けで、去り行く冬の厳しさとやって来る春の穏やかさが鬩ぎ合う早春で、自宅から車で1時間15分の距離なので車で通勤していた。

その日の早朝、全スタッフが揃って自己紹介が行われ、副支配人と言う職務が支配人に続いてゴルフ場で2番目の地位にあることを認識し、その責務の重大性をひしひしと感じた水野だったが、銀行の頭取とこのゴルフ場の理事長の特別な関係があり、何とか建て直しをということが背景にあったことも知った。

初出勤した帰路、ハンドルを手にする車内で自問自答していたが、突き詰めると自分の何に期待されてこうなったかということになり、浴場の中で吉村の言った言葉を再度思い出して考え走行し、いつもの契約しているモータープールに駐車させると、妻に電話を入れてドラちゃんの店に立ち寄ることを伝えたが、妻は何の抵抗もなく「ゆっくりと相談したらいいから」と優しくエールの言葉を返してくれた。

ドラちゃんの店のカウンター席には吉村と金村がおり、会計士もいたが、それはドラちゃんが配慮してくれたシナリオであった。

「水野さん、ゴルフ場へ出向とは驚きだねえ。私も銀行との関係があるので確認したが、君はかなり期待されていうのだから頑張りなさいよ」

会計士が結構詳しい話で対応してくれ、「まずはスタッフ達の雇用の問題売り上げアップので、アイデアが重要だ」と会計士らしいアドバイスをした。

水野はこの日までに3回のラウンドを体験していた。吉村たちとは1回だけだが、その後に会社の同僚達に頼んでパブリックのゴルフ場に行っており、セルフプレイを体験したことは貴重であるが、まぐれだがバーディーを記録しており、ゴルフの面白さを理解したような気もしていた。  続く
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