2024-04-11

前号のこと  NО 10129

前号で触れた銭湯での思い出、近所の寿司屋さんのことだが、それから1年も経たない内に先代さんご夫婦が九州旅行に行かれるので、行程の企画を頼まれ、私が組んだ行程で友人がいた旅行会社で予約して貰い出掛けられた。

寿司店のカウンターでスタッフの方と私が九州の話をよくしていたことからそうなったのだが、関西汽船の夜行ではない便で別府へ行き、山なみハイウェーで阿蘇を経て熊本へ行く行程を組み、三角港から島原へ渡り、雲仙宮崎旅館で過ごして長崎へ入る企画をした。

帰阪されるのは大村空港から伊丹へ到着する便だったが、お迎えに行ってもその便に乗っておられず、その日に帰阪されることなかったので何かあったのでは心配していたら、次の日に帰って来られ、雲仙の宮崎旅館が素晴らしかったので連泊されたと知ってびっくりした。

それは私が20代の頃の話で、その時から「雲仙宮崎旅館に行きたいと思っていたが、初めて利用したのは数年前の正月の3日に帯状疱疹になったとから、医院が休診でネットで調べたら温めると痛みが和らぐ都っことを知り、九州に行くことにして荒尾の人に平山温泉湯の蔵を予約して貰った。次の日は熊本駅近くの友人の家に立ち寄り昼食共にしてから熊本新港で送って貰い、高速船で島原へ渡り、「雲仙宮崎旅館」に宿泊。次の日に送迎バスで長崎駅に行き、昼食を食べてから嬉野温泉へ行き、女お勧めン歩「すき焼」を食べたが、部屋に換気扇がなかったで大変だった都を体験し、次の日にバスでケ武雄温泉駅行き、現地の友人と昼食を共にしてら「特急どり」で新幹線に乗り継いで帰阪した。

3泊の温泉旅行だったが、帰阪してからンでン敵を受けてお法して貰った薬を服用していたら数日で楽になった。 Hu

さて、前号で車のことに触れたが私の変遷はファミリア、ベルリーナ、マークツー、ワゴン、グロリア、クラウンで、グロリアは「バン」で、他府県に仕事でう際に「音響ステム」をお積載るからで、クラウンはロイヤルサルーンで、3台乗り継いだ。その後にセンチュリーに乗り換えた野は35歳の時で、2年後にン型のセンチュリーにり換えた。

その後にキャでラックのフルサイズに乗り、その後にベンツE55AMGに2台乗り継ぎ、やがてが弱くなったので免許証を返納し、それから運転することはなくなった。

静岡県知事のン台発言で人のニュースがあったが、細川元総理や小泉元総理が引用されていた細川ガラシャ夫人辞世の句が紹介されていたが、平山温泉で湯の蔵が取れずに1回だけ「一木一草」いう旅館を利用したが、そこが細川元総理にゆかり深い関係があり、別邸を移築されという部屋に宿泊出来た。

小泉都総理搭乗されたことから息子さんの「小泉孝太郎さん」の過去の愛車と言う番組の中で紹介されていたのがマークツーのワゴンで、私の乗っていたる魔と同じだったで懐かしかった。

「雲仙宮崎旅館は玉名温泉での公演の際に妻の友人達と利用したが、その1か月後に魔と行こうと思って電話を入れたら「耐震工事で休館ということが判明し、それから3年後に新築された旅館に友人と利用することになったが、友人も「最高だった」とベタ褒めだった。

,序に触れておきたいことがある。孫の時に行った友人と平山温泉から鹿児島県の「霧島ホテル」の「日帰り入浴」を利用し、鹿児島空港でう蝕を食べていたらむすめから電話があり「ママの誕生日に何処へ行っているの?」と叱られた。それは昨年の2月19日のことで、其の12月に妻は我が家へ6年間戻ることなく、御骨で帰って来ることになった。

そうそう、前号でれていた友人のことだが20代で早世されてしまったので衝撃だった。
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