2024-04-10

3Sとセリカのこと  NО 10128

青春時代に卓球をやっていた頃、九州から集団就職で町工場へやって来ていた人物と知り合い、やがて友人となり、我が家で食事をしたことも酸くなくなかった。彼は卓球はあまりうまくなかったが、何より大好きでいつも一緒に練習をしていた。社宅から出てアパートを借りることになり、近くのアパートの2階に引っ越したが、ケニージーの音楽が大好きで、シャープの ステレオを買っていた。よく遊びに行って音楽を聴いた、私のレコードを何んっまいも持ち込んでいた。

そんな彼と映画を観に行った。石原裕次郎さん主演の「栄光への5000キロ」で、ダットサンブルーバードのスリー⒮でサファリらりwに参戦する内容だった。それから1年後、私の故郷である伊勢へ行くことになって宇治山田駅の前のレンタカーに立ち寄ったら、あの映画に登場していたスリーSがあり、借りようということになって私が運転をした。

内宮に行く手前に新しい伊勢道路が完成して磯部までつながっていて、初めて通行することになった。トンネルもいくつかあり、結構急カーブもあったが、レンタカーのスリーSの走行振りは秀逸で、カーブの場所では法定速度内で走行していてもタイヤが鳴るので面白く、かれはその音が気に入ったみたいで、「映画を思い出すなあ」と嬉しそうだった。

その車は本当にスポーツタイプで、ずっと乗っていたコンパーノ・ベルりーナとは異質の代物で、こんなに車が違うなんてと衝撃を受けたことを憶えている。

やがて私は結婚して娘が誕生したが、いつも銭湯へ一緒に行っていたので何度か娘を連れて行った。初めて銭湯へ連れて行った際、近所の寿司店の親父さんが「赤ちゃんを入れるのはこうするんだ」と実演して教えてくれたことも憶えている。

そんな妻と忘れられないのがトヨタのセリカ1600GTで、神戸港から乗ったフェリーで日向の細嶋港へ到着し、真向いにあったトヨタレンタカーの事務所に行き、予約してあったその車をお願いしたら、セリカはなくカリーナを出され、話が違うとクレームを言ったら宮崎営業所に電話を掛けられ、その営業所までカリーナで行くことになった・セリカとカリーナはトヨタが1970年に発売した姉妹車だったが、精悍なスタイルのセリカの人気は高く、乗ってみたい車でもあった。

そしてトヨタレンタカーの宮崎営業所での出来事だが、予約した経緯を伝えたら「申し訳ございませんと言われて新車のセリカを出してくれた。シートにビニールが被ったままの状態で、室内に入ると新車独特の香りが漂っていた。

そして走行距離数キロというその車を運転してあちこちへ行くことになった。日南海岸、都井岬、にも行ったがその日の宿泊地は有名だった橘ホテルだった。
ここで夕食時に問題が発生した。夕食は1階だったが、桟敷になっている足元は海水になっており、
海の魚がいっぱい泳いでいた。それは生け簀みたいな物だったが、担当してくれた仲居さんが「記念にどうぞ」と言われたので勝手に含まれていると解釈して石鯛の薄造りを注文したら、「記念にいかがですか?」ということだったみたいでチェックアウト時に高額な費用を請求されてびっくりした。

このホテルを予約してくれたのは旅行会社に勤務する友人だったので、その話をすると「仲居さんの言葉が誤解を生んだとなってホテル側に交渉すると言ったが、私は旅の思い出として憶えてぼえておくからとクレームをさせなかった。

次の日は霧島神宮へ参拝して硫黄谷温泉として知られる「霧島ホテル」に宿泊したが、行く途中の小林市にある生駒高原のコスモスが最高だったので印象に残っており、昨年の秋に妻と妻の妹を伴っていく予定だったが叶わず、そのまま妻は亡くなってしまった。

霧島ホテルからえびの高原を抜け、有名なループ橋を通って人吉から球磨川沿いに下り八代に出て国道3号線を熊本へ向かい、途中で妻の実家に立ち寄ってから熊本市内に入り、下通に会った和食のレストランで妻の友人と食事をして、市内の旅館に宿泊した。

次の日、熊本市内から宇土へ出て、三角港からフェリーで島原へ渡り、雲仙を超えて長崎市内へ入り、そこでレンタカーを乗り捨て返却したが、走行距離が1700キロになっていた。

帰阪するのに嫌いな飛行機を利用した。長崎の大村空港か全日空のフレンドシップ機に搭乗したのだが、福岡上空を飛行中に乱気流に巻き込まれ、コーヒーや紅茶のサービスをされていたスタッフがトレーに乗っていた器のすべてをひっくり返し、私のスーツの上に飛んできた。激熱でびっくりしたが、伊丹空港で到着時にクリーニング代として3000円入りの封筒を貰った。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
携帯で下のQRコードをスキャンするか
 または
携帯に下のURLを直接入力します。
URL http://m.hitorigoto.net