2002-06-08

前 夜 式    NO 98

昨日にしたためた「前夜式」、午後7時から、時間通り40分間で「式」が終わった。

 あまり好きでない「感激した」というお言葉を多く頂戴したが、私の好きな「感動した」というご意見も少なくなかったので、疲れの中にほっとした思いである。

 夕方、事務所を出る時、現場責任者から電話があった。ご遺族にメッセージが届けられ、是非「代読を」というご要望だったが、相手様が女性か男性かとの確認をしたところ男性ということから、女性のアシスタント司会者を伴わなかった。

 式場に着いて確認すると、メッセージは、名の通った料理屋さんからで、立派な和紙に墨書き。それは見事な達筆で、心が伝わるしっかりとされた文章で、代読の時の気合いが入ることになった。

 女性スタッフ達が創作してくれた式次第、また、メモリアルコーナーのお写真が好評で、担当スタッフ達が喜んでいるが、私は、まだまだとの厳しい目で見ている。

 前夜式が終わった後、私の手元に1本のカセットテープが届けられた。その中には故人が自ら弾かれた三味線の音色が録音されており、明日の告別式で皆さんに拝聴いただくことになった。

 1人の参列者が私のところへ来られ、驚くお言葉を聞かされることもあった。それは、私を牧師や神父と勘違いされたようで、「何処の教会ですか?」「プロテスタントですか、カソリックですか?」とおっしゃられたからである。

 「単なる葬儀社の立場にあります」と答えたところ、「神学校で学ばれたのですか?」と念を押されてきた。

 私は、決して「神父さん」や「牧師さん」の真似をしたのではない。創作した言葉も限った宗教につながるものでもなく、すべての宗教の原点である「生命」「愛」「癒し」「人生観」「歴史」などを総合したもので、そんなことを説明申し上げると、ご納得をされることになった。

 どうやら、私の口調がその原因になったようだ。客観的な立場からの参列者へのメッセージや、時に織り交ぜた儀式的な言葉遣い、また、朗読のひとときなどから感じられたものと思っている。

  中継と録画を依頼したプロのビデオスタッフ達。彼らは多くの葬儀会社の仕事を体験されているが、「参りました」「感動しました」「こんな音楽の存在を初め て知りました。選曲が最高でした」と世辞を送ってくれたが、2カメのスタッフが撮影中に涙を流していた光景を数人の方に目撃されたそうだ。

 自画自賛の物語の結びに申し上げるが、私は「お涙頂戴型」の司会は大嫌いで、少なくとも一流と呼ばれる司会者がするものではないと考えている。

 故人との「思い出」が「形見」となってプレゼント出来た時、そして、死が自身にも訪れる意識をお感じいただけた時、そこで流れる「澄んだ」自然の涙は許されるだろうと思っている。

 明日は、いよいよ告別式。故人を偲びながら、小さな缶ビールで献杯申し上げ、おやすみなさいと参ります
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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