2019-10-16
また食べられる NO 8608
目がいよいよ不自由になりつつあり、こ「独り言」を打ち込むだけでも難しくなっている。しかし「生かされた証」として残しておきたいので続けている。
この数日に様々なポスティングが入っていた。3社の葬儀社のチラシも入っていたが、随分と焦っているように感じるし、広告の内容にもそのイメージが滲み出ていた。
葬儀社がポスティングをする行為は最悪だと指摘したいし、近所の方々からも不評の声があって当然だが、警衛が苦しくなっているみたいに感じてしまうのでイメージダウンは避けられず、自社を悪い葬儀屋であると宣伝しているように思えて哀れにさえ感じる。
テレビのCMの中に「お客様満足度92%」という商品が紹介されていたが、「8%」の方が「不満足」にあるということであり、こんな低次元なCMを高額な費用を掛けて企画するものと滑稽に見える。
葬儀社の中にも「満足度94%」というフレーズがあった。葬儀なんて故人の1回限りの大切な最期の儀式で、そこで「不満足」の方々が存在すると吐露して恥ずかしくないのだろうかと考えてしまう。
交流のある葬儀社の創業者が「葬儀社は物を売る仕事と違うのでスーパーみたいにチラシ広告をするな」という理念を頑なに遵守している会社が松山市に存在するが、上述の業者達にそんな企業理念を知って欲しいものである。
ポスティングの中に宗教関係の物も多く、全てを読んで勉強しているが、今日は天理教のパンフから二つの文章を紹介しておこう。
『いつも 晴天の心で もともと人の心は明るく清らかなものです しかし いつの間にか曇り汚れてきます 目に見えない「ほこり」が知らぬ内に心を覆ってしまうからです たとえば雨模様の日は雲や霧で薄暗くなりますが雲の上では太陽がまばゆく輝き光があふれています 雲や霧がなくなれば透き通った空がどこまでも広がるように「心のほこり」を取り去れば
いつも「晴天の心」で過ごすことができます ほこりとは自分さえよければ 今さえよければという勝手気ままな心づかいです 人のことを思い 人のために生きるとき 心のほこりは払われ 明るさと喜びがあふれてきます』
『欠点に見えるもの 几帳面な人にはその場で自由にふるまう人がいい加減な人間に見えます 自由奔放な人には何事にもきちんとしたがる人がいかにも窮屈で好きになれません 細かいことにこだわらない 何でもきちんと決まりをつける ほんとうはどちらも長所のはずなのに 違うメガネで見ると欠点に見えてしまいます 人間は 人それぞれで心もみな違います
自分には欠点と見えるものもその人の個性だと言えなくもありません それに一つや二つはあった方が安心して付き合っていられるというものです』
昨日目にしたお笑い芸人「スピードワゴン」の小沢さんの言葉が素晴らしいと賛辞されていたので紹介を。
『何が喋られるかが知性で 何を喋らないかが品性』
外国人の原作で翻訳された書物を天眼鏡片手に読んだ。そんな中に高齢者に問い掛ける言葉があって目に留まった。
『愛する人がいますか? いるなら幸せです。腹立たしい人がいますか? いるなら幸せです。ずっと報復を忘れずに長生き出来るからです』
お世話になっている東京の弁護士さんから電話があった。近々に出版する小説の発表記者会見についての打ち合わせだが、この「独り言」をご笑覧くださっているそうで過日の号で書いた松阪の海津にご興味を覚えられたそうで、打ち合わせがてらに海津へ招待することにした。
松阪には「金・銀・海津」という言葉があり、「和田金」「牛銀」「海津」のことだが、弁護士さんは過去に和田金へは行かれたことがあるそうだが「海津」のことはご存じでなく、掲載していた写真を目にされて行きたくなられたそうだ。
東京から来られるので新幹線の名古屋駅で近鉄特急で松阪駅までお越しいただき、松阪駅の東口で待ち合わせをする案を申し上げたが、初対面なのでお互いが分からないこともあるが、私が杖を片手にしていることで解決できそうだ。
出版社の方も同行されるので海津の予約をしなければならないが、過日の時は夕食の時間帯で、今回はランチタイムになるので予約を取れたら電話で知らせることになった。
松阪は大阪から1時間半寂だし、名古屋からなら1時間と少しなので名古屋からの方が近い。「しまかぜ」は松阪駅や中川駅に停車しないので利用できないが、ひょっとしたら伊勢神宮にもご案内するかも知れず、その際は「しまかぜ」をお勧めする。
今日の写真は過日に利用した「しまかぜ」の車内で撮影した一枚を。