2018-12-13

今日も「お好み焼き」  NO 8400

ホットケーキ過日に熊本で再会した友人夫妻に手紙を打ち込んだ。最近は目の調子が悪いのでパソコンを打つのも難渋しており、約束していたパンフレットを郵送することも遅くなったお詫びも書いておいた。

パンフとは先月に大阪環状線の寺田町駅に置かれてあった「歴史たび」のもので、滋賀県の「いちいの観音」で知られる「擽(本来は木偏)野寺(らくやじ)」だが、夫妻がメンバーだった大甲賀カントリー倶楽部の神コースにご一緒した際、いつもその前を通っていたからだった。

「守り続けられてきた平安仏」と解説されていたが、細かい字が見えないので残念である。

今日の夕食は税理士と「お好み焼き」を食べた。係争中の問題についてアドバイスを受けたが、「最悪の状況だ!」と同業の税理士の立場に呆れていたが、国税庁の調査から懲罰の対象になると「官報」に記載されるそうで、そうなったら多くの顧問先に迷惑を及ぼすことになるので大変だろう。

店舗の前で別れたが、折悪しく雨が降っていたので濡れながら帰宅して来たが、この「独り言」から妻の骨折を知った友人が、「料理が出来ないと大変でしょう」と食事を届けてくれて手を合わせたが、別の友人は私の好物という「醤油味」の珍しい「おかき」と「せんべい」を届けてくれたし、昔から交流のある素晴らしい女性が妻の喜ぶ逸品を届けてくれて恐縮した。

彼女ならではの味付けにはいつも「プロみたい」と思って頂戴しているが、妻の三角巾姿に驚かれていただろうと想像する。

商店街を通って二人で寺田町駅へ向かうと、途中で何度も声を掛けられて30分以上を要することになった。それだけ交友関係が広いということになるが、もうちょっとで二人で杖を手にする姿になるところだったのでホッとしたが、骨折姿を顕著に物語る三角巾姿は隠しようがなく、「どうしたの!?」に繋がるが、この二日間でもう二十数人に同じ説明を繰り返していた。

骨折は添え木(副木)が徐々に短くなって完治を迎えるのだが、高齢者は骨密度の問題もあり長引くこともあるので大変である。

現在我が夫婦は完全な障害者夫婦となり、老々介護の現実を迎えている。優しい友人が「階段を上がるのが大変でしょう」と2階までフォローしてくれようとした話も聞いたが、改めて人の世の温かさを感じている。

数日前、友人から新年を迎えたら会食しようと誘われたが、同席することになるじんぶつとの再会も楽しみである。鹿児島県出身の人物だが、不思議なご仏縁があって懐かしく。彼が社長時代に新しく開店した大規模な店舗の記念パーティーの司会をしたことを思い出した。

当時は「謎かけ」が流行しており、エンディングで「社長と掛けて雪国のかかまくらと解く」と呼び掛け、その心は「外見はクールそうだが中身は暖かいと言ったら大受けした。

過日に参列した葬儀である議員が私の所までやって来て「長らくお世話になりましたが、議員を後進に委ねることにしました」と次の候補者を紹介してくれた。

彼には様々な思い出があるが、面白いのが彼の奥さんとある飲食店で会った時のこと。奥さんは議員の代行として後援会員のご不幸の際に改装を担当されていたが、私に次のように言われた。

「私、様々なお葬式に参列していますが、あなたが司会をされる葬儀で驚いたことがあります」というもので、それは開式後にすぐに外側向けにアナウンスする代表者指名焼香の開始予定時間の告知で、午後1時27分と言われてその通りに始まったので衝撃的でしたが、そんな司会をされる人はあなただけでしたという体験談だが、この「27分」という数字に意味があり、「30分頃」とか「半頃」と言えば興味が薄くなり、待ち時間を長く感じてしまうからで、「29分」や「31分」も司会のテクニックの一つで、親族さん達の人数や宗派の把握経験、導師のご読経のスピードを理解して合わせることは難しくないことである。

議員の彼には忘れられない感謝の出来事もあった。ある議員の偲ぶ会の司会とプロデュースを担当した際、第一部を終えて講演会の人に第二部をバトンタッチした時のことだが、500人以上が出席される大規模なホテルでの偲ぶ会だが、メインテーブルに手招きされて参上すると同席されていた議員の方々から「普通の司会者じゃない」という話題になり、彼が私のプロフィールを解説くださっていたからだった。

大病を患ってから声帯機能を半分失ってしまい司会をしなくなったが、リハビリでコミュニケーション可能なレベルになり、悪声だが「お別れの言葉」や「講演活動」を続けている。

今日の写真は私の大好物の一つである「パンケーキ」を、
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