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2002-03-29

ホテル葬サービスの「致命的欠陥」  後 編

東京のある有名なホテルのバンケット担当支配人が、「これからの社葬は、遺族を割愛する方向になります」と発言されてお られたが、彼のお考えは、社葬を完全なイベントと捉え、企業間の交誼を結ぶ形式的なものと認識されておられるようで、最悪の方向に向かっていると断言する ところである。

宗教者を歓迎せず、ご遺族を割愛する社葬など、故人への最大の冒涜であり、ホテル本来のホスピタリティの欠片も感じないお粗末な発想であろうし、その提案に乗せられて施行をされてしまった企業は、確実に世間の物笑いの対象となるだろう。

  日本の文化は「神仏と共食」にあると言えるだろう。神事に伴う「直会」、仏事に伴う「御斎」など、これらはすべて「第1部」を重要視して成り立ってきたも のであり、「第2部」のみを売り物に考えるホテルの仏事サービスは、礼儀と節度という「礼節」を全く無視した方向性を見せている。

 今、東京、大阪を中心にする大都市圏で行なわれている「ホテル社葬の実態」をご存じだろうか。受付後に通路を進み、会場の入り口で手渡された一輪の花を持って祭壇前で献花。祭壇の横に並ばれた立礼者の前で目礼のうえお食事会場に流れる。

そこには新聞黒枠広告に堂々と明記されているように、「儀式らしいことは一切いたしません」と言うとおりの進行が行なわれている。こんな異様な光景がホテルで行なわれている。

時折、故人の遺品を展示されているコーナーを見かけることもあるが、稀である。
 
立 礼者の中におられるご遺族、どのようなご心中で立っておられるのだろうか。また、ご祭壇に飾られたご遺影の存在に対して、祭壇が何の意味を成すものなのだ ろうか。故人に対してこれ以上の失礼はないでのでは。「意義は何処に消えたの?」。そう感じることが上述の「礼節を欠く」という発言となっているのです。

  ホテル側が独自で構築された「お食事中心型」のこのサービス。参列者の体験による既成事実は恐ろしく、それがホテル葬の「かたち」と信じてしまう傾向が生 まれている現状に極寒の淋しさと恐ろしさを感じているが、ブランドが先走りされた一流ホテル、そのブランドに許される「驕り」に気付かれたお客様の存在。 それは、ご遺族への謝罪で済む問題ではない。

「故人が悲しんでいるだろう。故人に申し訳がない」。そんなお言葉に対して、ホテル側はどんな言葉で謝罪を表されるのだろうか、非常に興味を抱くこの頃である。

  ホテルが積極的に仏事サービスに取り組まれた背景には、少子化やブライダルスタイルの変化、また、社会の経済不況による祝賀会の自粛、減少もあるだろう が、契約される大手フラワー会社との両社が、自社側だけの利益追求に走った姿が現状であり、お客様のご満足の価値観は、ホテル空間だけにしかないというレ ベルにあることは否めないだろう。

 私がホテル業界の一部からオファーを頂戴しているのは、ご遺族、参列者のご満足を重要視しているから であり、ご体験をされた方々からは感動のお言葉と、賛同のお声を頂戴するソフト、ノウハウが認知されてきたからであると自負しているが、パック形式を売り 物にされている大手ホテルとは同一視されたくはないし、お客様、ホテル側の要望に応えて、宗教者をお迎えする形式のプロデュースと共に、無宗教形式に於け る「司式」の資質に誇りを抱くところに付加価値があると信じている。

上述の意識レベルでホテルサービスを謳っておられるのは、ボタンの掛 け違えで済まされない危険性を秘めていることだけはご認識いただきたいし、私の発案による様々な知的財産に帰属するソフトが、あちこちのホテルのパンフや 式進行の中に登場している現実もあり、礼節を大切にされるホテルが犯す重大な礼節違反に対して、今、この「独り言」で敢えて忠告を申し上げなければならな い時期を迎えているようだ。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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