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2004-04-07

贅 沢   NO756

「毎日の更新、大変だろう。よくやるよ」

 そんな言葉を掛けられることが多いが、その中には嘲笑的な意味が込められているのもあるだろう。

 正直に吐露して「大変」である。<今日は休載しようか?>と思う日も少なくないが、残された「命」の日々を考えると「勿体ない」気がしてしまう。

 続けられているのは、生きた証しという「道楽」と考えているから。そう思うとご訪問の皆様に申し訳ない心情となる。

 朝を迎え昼が来る。そして夜がやって来る。時計は午後10時を回っている。<原稿を打たなければ>という日課は負担となっているが、それを払拭させてくれた言葉に出会った。

 「義理や義務と考えたら負担になる筈。感謝ということへの責務と思えば楽だろう」
 「行動を起こさないのは、心の中に不満、不平が存在しているから。今日も生かされているではないか。そう思えば感謝が生まれ、時間を有効に使うだろう」

 死は前からやって来るものではなく、後ろからやって来るもの。そんな言葉があるが、「死に」関する仕事に携わっていると誰より「生」に対する思いが強くなる。

 時を過ごし、時に従い、与えらた時が尽きるなんてナレーションをしているが、その言葉を発する時、それはいつも自身のことにも思いを馳せている。

 この「独り言」、ひょっとして自身と対話している鏡のようにも感じている。

時間の流れは誰にも平等。世の中に様々な贅沢があろうが、人に出会い人に送られる。とすれば、時間を有効うに使い、この世の心残りをなくして出立することは最高の贅沢かも。

 いや、もっと贅沢がある。それは、多くの会葬者に見送られるより、多くの人に惜しまれる人生であること。功績を惜しまれるより思い出を形見として他人の涙を流していただくこと。

 葬儀の場で流される涙は、別れの涙と共に、この日がやがて訪れるという自身への哀れみの涙があるが、同じ透明であっても混ざらない葬儀でありたい。

 たった1時間の終焉の儀式だが、その中で上述のふたつの意味の涙が別々に生まれるような葬儀を進行したい。それが、私の究極の贅沢な葬儀。そこに弊社の「高級」という社名の意味がある。

 自分の葬儀は「どうありたいか?」との思いで集まった日本トータライフ協会のメンバー達、私の葬儀は彼らがプロデュースを担当してくれるだろうが、更新する「独り言」を読みながら、「どんな葬儀にする」と悩んで貰うのも最高の贅沢。

 葬儀のプロは、自身の葬儀のことを真剣に考えているものである。
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