2004-10-23
祈りましょう NO 951
新潟県で発生した大地震、余震が続いているようで心配している。台風がもたらした大雨の影響なのだろうか、地下で何かが起きているみたい。
テレビのニュースを見ながら様々な光景を思い出す。阪神大震災のときに担当していた数件の葬儀のこと。また、その後に担当させていただいた多くの犠牲者の方々の葬儀。人間が自然の中で「生かされている」弱いものであること改めて知らされたことが蘇る。
仏教では「諸行無常」を説かれるが、地球上に生命が誕生したのは60億年前頃だと考えられている。大気、大地、海しかなかった地球、その海のプランクトンみたいな存在が陸に上がり、やがて動物に進化してきたと言われている。
猿人に姿を成し、やがて言語もなく人間社会が形成された筈。社会が誕生して後から宗教や法律が生まれてきた。
ふと考えると「死」が理解されていない時代とは、どんな光景があったのだろうかと思ってしまう。
動いていた人が動かなくなって冷たくなる。声を発していたのが静かになる。それが何か全く分からない。そんな時代と「死」というものが理解されている現代とは、果たして「悲しみ」というものにどれほど差異があるのだろうかと興味を覚える。
とすれば、古代は動かなくなった「人」に対して恐怖を覚えた筈で、変貌する死者の様子に恐れをなし、触れる立場の人が勇気あるものと尊敬されていたのかも?
そんなことを考えていると、宗教の前に「生活」があったことが見えてくる。太陽、月、星などの存在や、火や水に対する思いも信仰の対象。長い歴史の中に科学の分析を説き、他人を納得させた「この指止まれ」が宗教誕生の姿では?
「命って?」「宗教って?」「葬儀って?」 そんな「?」を追いかけて私の一生が終わるのだろうが、与えられた余生の時間内に伝える仕事も大切なこと。
12月15日に、弊社でそんな講演会を予定している。テーマは「命について」で、講師を神戸「公詢社」の吉田社長にお願いした。
神戸のホテル・オークラで開催した日本トータライフ協会研修会、そこで拝聴した彼の大震災体験談には涙した。メンバー全員もそうだったが、会場のお世話を担当されたホテルスタッフ全員が泣いていた。
それは決して「悲しみ」の涙ではなく、「命の尊さ」を語る「語り部」への感動からだった。
彼の講演に続いて私の講演。ご出席くださる方がおられるだろうかと懸念はあるが、彼の講演を拝聴されたら、きっとその瞬間から人生に対する意識改革が始まるだろう。
阪神大震災の犠牲者の方々、その中の2000名以上の方のお世話をされた彼の会社。その体験には愛と命の物語がいっぱいあった。
来年は震災から10年目、天皇陛下がご出席される追悼式の予定もある。彼の会社があちこちの追悼式を担当されるが、メンバー達がそのお手伝いをしなければとも考えている。
余震が治まりますように。被害が最小限でありますように。心から祈念申し上げる。