2022-05-10

悲しくて寂しい  ǸО 8892

センチュリーの車内手術前の10分、手術後の10分以外の面会は出来ないというコロナの現実、腹立たしかっても仕方なく、手を消毒してから上に上がった。

手術中は1階の待ち合わせロビーにいたが、やがて名前が呼ばれて3階へ上がった。ナースステーションの中に執刀された先生がおられ、パソコンの画面を開けて今回の手術について説明を受けた。

画面にはっきりと色の違う骨が映っている。それが今回の手術で入れた」人口骨」だそうだが、今日からリハビリを始めて一週間ほどで歩けるようになるそうでホッとした。

病室へ行ったら全身麻酔から醒めており、「痛い痛い」と騒がしい。鎮痛剤の入った点滴を受けているので効く筈だが、切った部分が痛いみたいで「痛いのは生きてる証だ」と伝えてから友人の葬儀が行われている式場へ行った。

我々夫婦と交流のあった方多型の姿もあったし、「奥さんはお元気?」と聞かれて「骨折で今日手術だった」と伝えると驚かれた。

私が大病を患う前、車2台で松阪の「海津」へ行き、帰りに榊原温泉の「榊原館」で日帰り入浴したこともあり、もう一台の車を運転していたのが今日の葬儀に友人だった。

彼のお父さんの葬儀を私が担当していた。その日は昭和天皇の大喪の礼の日で「国民は12時に黙祷を捧げることも流れていたので、ちょうど12時ご出棺の葬儀だったのでラジオ阿を持ち込み、NHKの寺宝をマイクで拾って「併せて合掌黙祷を」とお願いしたらびっくりするような話題になったことが懐かしい。

娘さんからご訃報の電話があったのは一昨日だったが、スタッフから日程を伝えて来ることもなく、仕方なく娘さんの電話履歴から昨日の掛けてお通夜に行ったが、妻の悲しみの様子を娘さん達へ伝え、私が司会をして送り出すことが出来なくなったことを申し訳なく手を合わせて来た。

昨日の写真にキャデラックが掲載されていたが、「ヤナセ」から手配をして貰ったのが今日の故人で、キャデラックが届いたよと行ってみたらこの形式ではなく丸形のスタイルで期待外れだった。

ゴルフに行く時にバッグが詰めるか確認するのにトランクを開けたが3本しか無理で、4人で行く場合は一人が後部座席でバッグを抱かなければならなかった。

キャデラックと言えばアメ車の代表格で、憧れていたのは「核型スタイル」のものだったが、「ヤナセ」の担当者にその旨を伝えると「台新車で東京にあります」と手配してくれ、数日後に届いたのが子のキャデラックだったが、5メートル70センチの大きさにびっくり。マスコットエンブレムが貼るか前方にあって「運転できるのか?」と不安になったし、ずっとセンチュリーに慣れていたけど全く別物であることを知った。

トランクを開けてゴルフバッグで確認したら、縦に並べて6本入るので驚きだったが、この車でご出棺の随行車としてお寺さんや喪主桟を乗せて火葬場を往復したことも7000回ほどあり、その車中の会話で学んだことは貴重だった。
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