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2005-11-15

心の潤滑油  NO 1333


  小泉総理の語録で過去に話題となった「米百表」は、戊辰戦争の際、三根山藩から長岡藩に見舞いとして贈られた米を、小林虎三郎の提案から将来に役立つ道を とお金に換え、それで学校を建設したという物語り。見事な英断、美談というものは人の心を打つ癒しの潤滑油みたいなものであろう。

 今朝も三陸沖で地震があり、津波警報で避難したと報じられていたが、気象庁の発表ミスが生じていたようで、人的ミスで犠牲者が出るなんてことのないように願いたいものである。

南海地震が心配される紀伊半島で、発生した大地震の津波から村人を救うために稲村に火をつけ、多くの村民を高台に誘導した濱口儀兵衛の英断、美談も有名だが、後の「濱口梧陵」となるこの人物は、その後に村を守る堤防を私財で建設したことでも知られている。

 また、それだけではなく、文武両道の学び舎として「耐久舎」を建設、後世に立派な学校として形成されてきた歴史もあるので素晴らしい。

 今日、愛媛県松山市に在住する塾生からメールがあったが、ふと思い出したのが愛媛県伊予で「義農」と称された人物に関する美談。

 農業を営んでいた「作兵衛」さんは、晩節に害虫の被害が甚大だった享保の大飢饉に遭遇、餓死で多くの村人や家族を失っていったのだが、最後に残っていた一表の種麦に一切手を付けず、死を選択したという壮絶な実話である。

 麦は数日でなくなってしまう。しかし、種蒔きの時期に畑に蒔けば何万倍にもなると、食することなく守り通して死を迎えたそうで「食べて少しでも命を永らえよう」と勧めた村人達に残した言葉が立派だった。

 その後、作兵衛さんは神社に祀られることになったが、上述の3名の人達の行動は「人の道」として永遠に語り継いで欲しいもの。

 人は、偉くなったり何かの功績を残すと銅像を建てることが多い。これらは大会社や中小企業の創業者達にも多く、社有地内、また多大な寄贈援助をされた故郷に建てられていることもあるが、橋や鉄道の建設誘致で建てられる政治家の銅像だけは「?」を抱いてしまう。

 若かりし頃、ある人物から教えられた言葉が印象に残っている。それは、人生に於ける寄付行為のことで、次のように説かれた。

「神社仏閣や地域に寄贈することは尊いこと。しかし、それが顕彰される『かたち』をしっかりと考えなさい」

 教えられたことは、寄贈者名の表記方法だった。紙や木に文字を書くこともあるし、石に刻むこともあるが、自身より寿命の長いものに表記するべきでないということで、それが功徳の原点だと仰られた。

 人は、生きた証しは別として、何れは死を迎えて墓に俗名や戒名が記される。「それまでは『石』に名を刻むな」という人生訓だったが、プラスチック板はどうなるのだろう?
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