2017-01-14
満身創痍 NO 5972
猛烈な寒波。この原稿を打っている部屋も寒くて堪らないが、長い休載でご心配くださる方々のことを思って打ち込んでいる。
年末年始は医院が休診となるし、病院で新年を過ごすなんて絶対にしたくことでないことだった。
師走の中頃から体調が悪かったので気を付けていた。確か12月28日だったと記憶するが、岩手県を震源とする大きな地震が発生したのでびっくりし、関東に在住する孫達のことが心配になって電話を掛けたら「震度4で結構揺れたよ」と説明があり、続いて「明日、大阪に行くよ」と続いたので信じられなかった。
次の日、夜遅くに娘がアメリカ生まれの孫を伴って姿を見せたが、久し振りに小学生時代の仲間が集まることになったそうで、そのために帰って来たということだった。
孫の顔を見て嬉しかったが、その頃に体調は最悪、大規模病院の救急外来へ行こうかとさえ考えていた。
娘は元日に孫を伴って帰京してしまった。我が家が急に静かになって悪猫が落ち着きを見せた頃、体調は最悪。しかし医院が開院するまではと我慢することにしたが、1月3日の夜に風呂に入ろうとした時に自身の病状が何かをはっきりと理解。ネットでその病気に関する情報を調べて素人対応していた。
医院が開院したのは1月6日。「よく我慢したねえ」と先生に言われてすぐに点滴を受け、薬を処方されたが、この薬の錠剤の大きさが半端じゃない程大きい。高齢者で嚥下障害でもあれば服用時に失敗して命を失うこともあるような代物。昔から様々な薬を飲み続けていることもあって何とか服用出来たが、正月の餅と同じように危険性のあるものだった。
金曜日、土曜日と点滴を受けたら日曜日と月曜日がまた連休で休診。その間大人しくしえいたがいよいよ満身創痍という状態になった。
心配してくれた電話もあったしメールも多かったが、自分の体力が落ちて免疫力が確実に低下していたのだろうが、今回体験した病状は最悪だった。
もう無理は出来ない。病気と友達となって過ごす生活が求められるようで、目の不自由さも強くなりつつあるので難渋である。
今回医院の先生に調べて貰って判明したことは、過去に体験している大病の後遺症が強くなり、下半身の冷えが酷くなり、足の親指の上下の感じや血液には問題ないが、温覚が完全に麻痺してしまったみたいで、やぐら炬燵に足を入れても全く温度を感じないので困ってしまう。
「低温火傷に注意を」と指導されているが、体力低下もあるので気分転換を含めて温泉へ出掛けて温まろうと思っているが、この寒波で北の方は避け、南の方を考えている。
動ける内に、見える内に、そんな思いを一層強く感じた年初めだった。
今日の写真は行ってみたい温泉旅館の貸切風呂を。