2003-03-07
台風の思い出 NO 365
今日は、私の誕生日。偶然に丁度1年分にあたる365号を発信することになった。
午後にお寺で行われる91歳の方の葬儀を担当するが、予報では風雨が強くて参列者に気の毒な日になってしまいそう。午前中に雨が上がってくれることを願っている。
朝にスタッフから、交通事故で亡くなれた方の葬儀の依頼が遠方から入っていることを耳にしたが、また悲しい葬儀となるだろう。
一方で、2日ほど前、スタッフが福祉の葬儀を担当していたが、家族の方が役所で指定業者の一覧表を見られて、「この葬儀社に」と弊社をご指名くださったそうだ。
お布施、文書料、供物料などを6万円少しと定められており、これらを我々が立て替えて遺族に渡す葬儀。これらを含む総経費は霊柩自動車や人件費を総合してすべてが19万円台の金額。
この葬儀でお孫さんが「お婆ちゃんに」と、お別れの言葉を捧げられた聞き、スタッフの中にあたたかい空気が生まれていた。
さて、あるお通夜の席上でお年寄り達とお話しをしていると、昔話の中に大きな被害に遭遇された第二室戸台風のことが話題として登場し、私もこの台風に強烈な思い出があったので大いに盛り上がった。
昭和36年9月16、室戸岬に上陸した台風18号。当時ミリバールと表現していたヘクトパスカルが925、室戸での最大瞬間風速が84メートル以上。尼崎市に再上陸した際でも60メートルという猛烈な台風であった。
この年、私は中学2年生。トヨタのパブリカが登場し、ベルリンの壁が構築され、人類初の宇宙旅行となったガガーリンの「地球は青かった」というのもこの年。流行歌は、今もカラオケデュエットの定番となっている「銀座の恋の物語」が歌われつつあった頃だ。
住んでいた長屋の大屋根にあった物干し。親父に手伝わされて近所に恥ずかしい思いを抱きながら、太いロープで固定した。
それは、台風の来る2日前のこと。ニュースで伝える大型台風との情報で、心配性のオヤジが行動を起こした訳である。
さて、襲来当日の昼頃には、もう外に出ることが出来ない烈風が吹いている。午後の2時頃のことだった。2階で地震かと思うような大きな音と衝撃があった。 上がって窓から覗くと、右隣のお家の屋根に大きな物干しが突き刺さっている。トタン屋根に穴を開けてしまったところからどんどん雨水が浸入していってい る。
「風が治まったらお詫びに行き、弁償もしなくてはならないだろう」そんな会話をオヤジとしていたが、夕方になり少し風が治まった頃、表に出て向かい側から屋根を見た時にびっくりした。
当家の物干し台がそのまま残っている。なんと、反対隣の大きな物干し台が、当家を飛び越えて吹き飛ばされていたのである。
太いロープで結んだ効力があったのである。安堵したと共に、オヤジの心配性が功を奏した事件ともなり、「万が一」や「IF」という心構えが植えつけられた出来事でもあった。
大阪市内の四分の一の家屋が床上浸水した水害も凄かったが、当日に行われる予定の弊社担当の葬儀が2件順延されたということも歴史に刻まれている。
あれから42年の経過。心配性のDNAが継承されているのは確かなようだ。