2005-12-11

大丈夫?  NO 1360


 温室栽培のフルーツ、また電照菊などが当たり前になった世の中、そこには季節感が薄らいでしまった感を覚えるが、車窓から眺める景色には、まだまだ四季折々の日本の風情が感じられる。

 山間部を走行中には山々も雪化粧、季節は、間違いなく師走。もう20日後には新年を迎える。車内には、何か慌しさを感じてしまうような人々の動き、ワゴンサービスの女性の言葉からもそんな響きが伝わってきた。

 シートを倒して目を閉じる。ふと、この一年間に何をして来ただろうかと感懐から始まり、感慨モードに耽る。

  塾の開講、独り言の毎日の更新、協会のメンバー達との交流、コンサートの開催など多くの出来事を思い出すことになったが、予想もしなかった一週間の入院が 貴重な体験。これまでに担当させていただいた故人の闘病生活、その心情の一部を学んだことが、また新しい発想を生むきっかけともなった。

 人生にあって人との出会いは大きな宝物、同業の道を進む若い塾生達との交流は、責任を感じながらも私を若くさせてくれたような気がしている。

  みんなそれぞれに悩みを抱いている。素朴な疑問を抱いている。研鑽を重ね日々に精進しながら自身の進む道を模索している姿、それは私が求めていた葬儀の場 の「やさしさ」を共有してくれる仲間達の増員でもあり、協会のメンバー達と同じ「悲しみのプロ」を目指す絆を感じている。

 今年の特徴的な出来事として、ご来社くださる葬儀社と宗教者が増えてきたことがあると言えるだろう。その両者に共通しているテーマが現在の葬儀に対する「疑問」であり、独り言の発信を通じて「えにし」をいただいたケースが多かった。

 業界の雑誌を読みながら<このままでは!>という思いも過ぎる。全国で行われている社葬のレベルが低過ぎる。<まだ、こんな無駄なことを!>のオンパレード。そこに参列されている方々の心情を拝察してしまう。

  膨大な経費を要して嘲笑されている社葬が多くある。施主側が勝手な思い込みで単なる「祭り」にしてしまっている例も少なくないし、その大半が既成事実とい う勝手な思い込みに流された事実、遠方から「義理」で参列される方々も災難だろうが、最も気の毒なのは故人と遺族。葬送の本義の欠如を知られた時、「祭 り」の愚かさに気付かれ悲しみが倍化されることになるだろう。

 私は、プロデューサーとして「お客様の後ろ姿」を重視するシナリオを描き、駐車場係りや最寄り駅誘導係りの声を把握する行動を大切に考えてきた。そこに参列者の本音の感想と会話が出て来るから。

 会場がホテルならエレベーターにホテルスタッフを同乗させる作戦も進めてきた。そこで集約した声の分析が何より重要。

 そんなプロセスを経てどこにも出来ない社葬、偲ぶ会、お別れ会の世界が完成している。それらは、もちろん小規模な個人葬にも活用可能で役立った。それを求めて来社される方々が増えてきたのは結構なこと。遺族を二重に悲しませることが減ることは大歓迎である。

 昨日に書いたシンデレラの公演、出演している塾生に立派なパンフレットを頂戴したが、後半に「塗り絵」になった数ページがあり、シンデレラ大好きの孫に送ろうと思っている。

その孫がオーディションに受かった本番の日が迫った。リハーサルの際、舞台の袖に下がる場面で独りだけポツンと取り残されるミスて拍手を貰ったそうだが、それが如何にもアメリカらしいような気がする。「くるみ割り人形」の成功と幸運な思い出づくりを祈っている
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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