2017-03-27
思い出した体験 NO 6019
昨日の「幸せ列車」で紹介されている「10年前の独り言」を読んだら地震のことを書いていた。出張先で地震に遭遇した体験だったが、その地震は能登半島を中心とする地域で発生したかなり大きな地震で、震源地に近い地域では甚大な被害が出ていた。
ホテルや旅館業界で知られる和倉温泉の「加賀屋」旅館も想像以上の被害から営業が不可能という状況となっていた。
この「加賀屋」の社長の思い出話を耳にしたことがあるが、営業が出来ないので深刻に悩んでいた時、建物を建設時に依頼をしていた大林組が数百人の建設作業員を連れて来てくれ、誰もが信じられない期間で修復されることになり、営業が再開出来たという話だった。
何か問題が発生した時に援助してくれることはそれこそ「神仏」に手を合わせる思いを抱くだろうが、友人の会社が社員の慰安会で有馬グランドホテルに宿泊していたら、未明に発生した阪神淡路大震災で大変な目に遭ったそうだが、ホテル側の見事な対処が素晴らしかったと語っていたことを思い出す。
栃木県那須のファミリースキー場で雪崩が発生し、巻き込まれた高校生達が被害に遭った
というニュースがあった。前日に積雪がなかったのに夜中に大雪が降ったみたいで朝方に
は30センチを超す積雪があったと報道されていた。
1969年3月の10日から長野県の志賀高原に友人達と春スキーに行ったことを思い出す。宿泊したのは発哺温泉で「ブナ平」のゲレンデを予定していた。ゲレンデを滑り終わると七曲りというカーブが続き、その先に長いリフトがあったが、その時は雪不足で七曲りの部分ではソリを担いで歩くという状況だった。
それから2日後の12日だった。朝食をしている時にホテルのスタッフから「ゲレンデは滑走禁止になりました」と案内があってびっくり。深夜から大雪が降り新雪が雪崩になる危険性があるからと説明された。
その大雪は東京都内にも記録されており、テレビのニュースで都内で30センチだったので驚くことになった。
新雪が多く積雪すると表層雪崩になるというメカニズムを学ぶことになったが、今回の悲劇もそんなケースのような気がするが、ファミリーという名称からは想像出来なかったが、「ブナ平」も緩やかな斜面だったので思い出していた。
前にも書いたことがあるが、誰もが知られる俳優だった「石原裕次郎さん」が滑走中に女性と衝突されて骨折されたのもこの「ブナ平」だった。
ゲレンデが閉鎖となったのでホテルの館内で過ごすことになったが、早稲田や慶応の学生達に誘われて麻雀をしたら、彼らの強さは半端じゃなかったことを憶えているが、館内にあった卓球でお返しすることが出来たことが懐かしい。
今日の写真はその時に宿泊していた「岩菅ホテル」だが、40数年前のことなので随分とイメージが変化しているようだ。