2002-05-06
凝り性の道楽
「バカ」の冠がつくほどの「凝り性」である私は、これまでの人生で多くの愚かなことをやってきた。
しかし、目標だけは高く定め、どのようにしてそこに到達するかというシナリオ構築を行い、練習の時間や到達するまでの期間は誰よりも「速い」ことだけは誇れると自負している。
ここまで言うと、自信過剰な嫌味なタイプと思われるだろうが、共に興じてきた人達が周囲に多く、その事実が語り継がれてきているので「知る人ぞ知る」ということにしておいていただきたいと願っている。
若かりし頃に卓球に取り組み、社会人になって「大阪社会人大会の優勝」を目標とし、優勝と同時に卓球を卒業し、その当時に流行のボウリングを始めた。
まず始めに疑問を抱いたのはボールに付着してくる「オイル」、それがレーン上に敷かれている原因を本で学ぶと理論の分析に取り組んだ。
ここでの目標は総合大会で優勝すること。3年後の大会で、団体、ダブルス、男子シングルスのオールエベンツ優勝で卒業した。
次に始めたのはゴルフ、これは難しいものだったが、月に数冊の専門雑誌を購入し、徹底して理論研究をしたが、しばらくはさっぱり解らなかった。
ぱっと目覚めたのは、テレビでプロゴルファーのトーナメント中継を見ていた時。全員が美しいスウィングをしていることに気付いた。
そ れは、「正しいスウィングをすると美しいフォームになるのだ」との悟りにつながり、その日から練習場通いを一切止め、毎日15分の素振りを始めたことによ り、ハンディキャップは12から10へ、やがて、月例優勝、研修会優勝などで9になり、そこから短期間で7まで進むことが出来た。
しかし、そこから進むことが出来なくなった。仕事での重責がアップし、断念せざるを得なくなったからだが、60歳ぐらいになったら「歩き」を目的に再挑戦してみたいと思っている。
一方で「道楽」となってしまったのが「へら鮒釣り」だった。ちょうどその頃、拙著に取り組み始めたこともあり、ストーリーの壁に当たると早朝から奈良県香芝にある「分川池」に出掛けた。
「へら」で凝ってしまったのが道具、特に竹竿の蒐集。天下の名竿、それも竿師の「記念作品」と呼ばれる芸術的なものに興味を抱いてしまったのである。
発端は「職人の世界」への興味。竿師の個性がすべて凝縮される竹竿の微妙な「感触」の魅力に引き込まれていた。
そもそもきっかけとなったのは、ある釣り名人の死。その方の葬儀を担当し、多くの名竿を柩の中に納められようとされた時、「お知り合いの方々に<形見>としてお使いいただくことも大切では」とアドバイスをしたことであった。
その時、一本だけが柩に納められ、残りは参列されておられたご友人達にプレゼントされたが、「使用する時、師匠を思い出すことが出来ます」と皆さんがおっしゃられたことをご遺族が喜ばれ、その内の一本を私が頂戴することになったのものです。
その竿の名は「竿春」、随分古い時代の物であったが、火入れなどの手入れが行き届いており、素晴らしい宝物であった。
「源竿師・山彦・こまどり・至峰・影舟・櫓声・一文字・夢坊」
これらの名竿は、私の道楽の足跡として、今も大切に保管されている。