2020-11-06
私も大変 NO 8654
朝から医院の先生に会った。病院へ行くことを伝えることもあったが、私自身の左足の臑にかなりの傷があり、知覚障害から左半身の痛覚がないので何時何処で出来たのか全く見当が付かず、来週の月曜日に診察を受ける予定が入っていたクリニックの先生に会ったが、すでに病院から情報が入っており、「急性硬膜下血腫」という病名が判明した。病院の救急外来の「ICU」に行き、担当の看護師さんから詳しく聞いたが、造影剤が使えないので薬の服用を止めて月曜日に「MRI検査」を実施することを知った。
血腫の量は少なく、手術の必要もなく安堵したが予後に後遺症が出る確率が高いので心配している。
朝から医院へ行き抗生物質の薬を処方して貰った。左足の臑にかなりの傷を負っており、
知覚障害から左半身の痛覚が麻痺しており、何時何処で傷ついたかも不明なので困っている。
明日は週一の処置を受ける日だが、朝から入浴をした身を清めてから行く予定だが、痛みを伴うので辛い。
老々介護という言葉があるが、その響きは寂しいもので、同年代の友人や知人にも少なくない。
涙は悲しい時にだけ流れ出るものではなく、感情が極まった時に現われるもので、血液成分が透明になって目から流れるプロセスが心身を守る役割につながる。
伴侶に先立たれた友人は涙腺が弱くてすぐに涙を流す。テレビ番組を観ていても泣くこともあるそうで、次回に会った時に「悲嘆」と「思慕感」について離そうと考えている。
不思議なご仏縁も少なくなく、担当の看護師さんの名札を見たら広島のピピの社長と同姓で、有名な看護師さんだった彼女のお母さんの葬儀を私が担当しており、スケジュールの都合で5日間待っていただいたことを思い出す。
音響設備をトランクと後部座席に乗せて山陽道を広島へ向かったが、最寄りのインターチェンジに着いたのは日付けが変わっており、共に手伝ってくれる仲間達が車の中で待っていてくれ、そのまま式場へ向かって音響のセッティングをしたが、CDやテープを流すためのデッキを積み忘れており、当日の朝に地元の電化ショップに行って貰って解決したが、想定外の参列者で
手伝ってくれたのは九州、東京、四国の仲間だったが、それぞれが精一杯のハートで接してくれたことを忘れられない。
コロナの関係で病室への入室は出来なかったが、口を開けて寝ている妻の姿を見て帰って来た。
看護師さんが「ご主人が来られたことを伝えます」と言ってくださったが、足腰が弱っており、リハビリの療法士さんも入っていることを知った。
悪いので誤字脱字に変換ミスが多い。前号でも「スパー白鳥」が「スーポーー白鳥」になっていたし、「醤油味」が「書湯味」になっていたが、なにとぞご海容を下さるようにお願い申上げえる。