2003-01-03
三日坊主 NO 303
午前0時を回り、除夜の鐘に思いを託して誓ったこと、それは、恥ずかしいレベルで恐縮だが、禁煙に挑んでいるということなのです。
イライラする、それは、絶対で確か。何とか自身の手を煩わせるようなことを探し出し、タバコとの生活リズムから離れようと努力する。
20数年前に止めたこともあった。そのきっかけは、江戸っ子の友人に「文化人じゃねえな」と言われたこと。
止めて半年ぐらいで体重が6キロも増え、また喫煙の道へ戻ってしまった。
今日で3日目。最も辛いことは、原稿を創作する時間。ないものを想像する場合の永年のリズムに喫煙が入っており、それが昨年末まで脱却出来なかったということ。
新幹線「のぞみ」は16両だが、その内の11両が禁煙車両。今や、そんな社会になっている。レストランや喫茶店、また、ホテルの宿泊でも禁煙フロアが存在している時代。肩身の狭い思いをしている喫煙者の会話が多くなっている。
「イライラしたら血圧が上がるぞ。逆に身体に悪いかも」
そんな言葉を掛けてくださる方もおられる。しかし、もう、遵守しなければならない事情がある。社員にも、日本トータライフ協会のメンバー掲示板にも宣言してしまったではないか。
ここで破れば今後の一生の恥。それ以上に、この「独り言」に、今、書いているではないか。
2002年が過ぎた。永年連れ添ってきた「ハイライト」を去って行かせた。
何を未練がましいことをとお思いでしょうが、考えてみれば、地球環境に悪いことをしてきたと反省しなければならないし、周囲の方々に多大な迷惑を及ぼしてきたことにもなるだろう。
私は、最近の司会で「司式」バージョンにつとめている。それは、無宗教形式の流行も背景にあるが、それだけではなく、葬儀の進行というものが「単なる司会であってはならない」ことを学んだからである。
人は、苦しみや悲しみに出合うことで「やさしさ」を身に付けて行くそうだ。
前にも書いたが、「優しい」の文字は「人を憂う」という意味。
司式への意識改革にあって、自身の苦しみも上述の条件となり勉強である。
永年頑固に愛した「ハイライト」との別れは辛いものだが、大切な方を亡くされた方々のことを思えば天と地の格差がある。
こんなつまらないことで「独り言」の1日を費やすなと、お叱りを受けるかも知れませんが、とにかく、禁煙に突入しました。三日坊主と呼ばれないように努力いたします。