2004-03-21

ごはん   NO 738

お通夜からの帰宅途中、友人でもあるオヤジの割烹に寄った。

 東京、大阪と一流どころで修行を積み独立してから約30年の月日が流れているが、誰もが認める素晴らしい夫婦仲で頑張り、多くの常連客を得て繁盛している。

 病的なほど好き嫌いの多い私、この店で注文する料理は決まっており、いつも格安の特別料理となっているが、時折、それを見られたお客さんが「これ、いいわ。私も」と注文されて困ることがある。

 そんな時、オヤジは見事に切り抜けるが、そのトークは秘密にしておこう。

 彼をゴルフに引っ張り込んだのは私だが、二人がコースに行き出した頃に体験した話題で盛り上がった。

 もう20年も前のこと。奈良県の名張にあるパブリックコース『桔梗が丘』ゴルフ場の昼ごはん。そこで出てきた「お米」の味が最高で、一口を口にして互いが顔を合わせ、「何だ、これ?」と、それこそ口を揃えた?のである。

 彼は、料理の世界のプロ。これまでの生涯のご飯で「最高の味だった」で意見が一致。「今も、あのご飯が出されているのだろうか?」と思い懐かしんだ。

 これまでに多くの旅館に宿泊したが、いつも「ご飯」で興醒めしてしまう。女将さんや料理長がどうして気付かないのだろうかと不思議でならず、この思いは多くの友人達が共鳴している。

 さて、人が亡くなると枕飾りに「一膳飯」を供える慣習があるが、これは、浄土真宗を除いて全国的に定着しているようだ。

 ある日の早朝、近所の方が亡くなられ、私の自宅に来られたことがあった。「起こしに行ったら冷たくなっていたのです」とおっしゃりパニック状態。すぐに参上することになったが、前日からお見舞いで泊まっておられたご長女の方が冷静だった。

 彼女は地方に嫁いでおられるが、その地で葬儀のお手伝いを何度もされた経験があり、その沈着な行動振りは見事なもの。

 「ちょうど、ご飯が炊き上がったわ。これから大変よ。とにかく落ち着いて。ご飯を食べておかなければ身体が持たないわよ」

 この言葉、以外にもうろたえるご家族を落ち着かせる効力に。そこで彼女の言葉が続く。

 「そうそう、一膳飯が要るわ。炊き上がりの一番をお供えしなければ。お茶碗は、何処?」

 ここに慣習の問題点が。一膳飯に関する習俗からすると、一膳飯だけを目的として炊かなければならず、厳しい慣習が生きている地域では、その「かまど」さえ臨時に設けることもあるぐらい。

 その説明をさりげなくしたところ、「初めて知りましたわ」と驚かれたが、非日常的なことをする葬儀での慣習が生まれた背景には、それだけ人を送ることが大変で大切なことなんだということもあるかも知れない。

 一膳飯、やはり日本人なんだから、最高の「お米」を考慮したいものである。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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