2002-09-16

申し訳ございません    NO 197

丁寧な物腰のお電話を頂戴した。ご用件は「慈曲葬をお願いしたいのですが」という事前相談であったが、相手さんのご住所を伺って<どうしよう>ということになってしまった。なんと、信越地方なのである。 

 ご入院中のご主人がご不幸を迎えられた時に「慈曲葬」形式の葬儀を行いたいとおっしゃるのだが、その時、インターネットで弊社を調べられたものと勝手な推察をしていた。

 事情を伺ってみると、その方の知人が大阪のホテルで行なわれた「慈曲葬」に参列されたことがあり、その際に体験された感想に共鳴されたということが分かった。

 これまでにも九州から北海道まで、様々な葬儀のプロデュースや司会を担当してきたが、その8割は、日を改めて行われる社葬、偲ぶ会、お別れ会などであり、残りの2割は地元業者さんからの依頼による司会の担当であった。

 今回のお話は、ご不幸を迎えられた時点からすべてを任せるという要望で、上記の事情をお話しながら、地元の業者さんに密葬か家族葬で依頼され、日を改めてされる場合には担当が可能と申し上げることにした。

 話が進んで行くと、どうしても日を改める形式が不可能で、1回限りの形式で通夜と葬儀を行いたいとご希望される。

 慈曲葬の対応は、日本トータライフ協会加盟業者であれば可能だが、残念ながら信越地方にはメンバーが存在していないのが現状。近いところからと考えても群馬、東京からの派遣ということになるが、通夜と葬儀となれば、時間という物理的事情で対応が不可能となってしまう。

  地元の業者さんに依頼をとの考えもあるが、慈曲葬となればそうはいかない。徹底した取材による人生表現、献奏曲の編曲、司会から司式への意識改革など、長 時間のカリキュラム研修を終え、初めてそのサービス提供が出来るという高レベルな葬儀形式であり、3ヶ月や半年でマスター出来るものではないのである。

 残念な結論であるが、日を改めて行われる場合は担当可能ということで結んでしまうことになってしまった。

 「一生に一回だけだから」とおっしゃった相手様のお言葉が私の心に突き刺さり、今後の責務の重さと対応策に進まねばと、宿題を与えられたように思っている。

  電話は、30分に及ぶことになったが、参列体験をされた方が持ち帰られた式次第の話題もあり、私達が構築したオリジナル「奉儀」や「星名国際登録奉呈式」 のことまで登場し、物理的事情で対応が出来ない不甲斐無さに、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになり、電話を終えた時点からの後味の悪さは言葉で表現出 来ない辛さがある。

 過去ログにもあるが、「体感に勝るものなし」という言葉は、今回にも正しかったということを再認識したやりとりであった。

 誠に申し訳ございません。余命を与えられた残された日々、大切な人との時間の共有と過ごし方に、後悔がないようにとの思いを抱きながら、心からお詫び申し上げるところでございます。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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