2002-06-03

ある講演でのリサーチ   NO 94

一昨日、ある大きな団体からの講演依頼があり、来月、担当することになった。
 
弊社では、10年ほど前から、全国のすべての新聞、雑誌に取り上げられた「葬儀」「死」などに関する記事をファイル入力するシステムを構築していますが、これらの量は年々に増加し、内容も多様化、個性化の時代の到来を顕著に物語っています。
 
講演は、本来、一方通行でお話し申し上げることですが、私は、社会ニーズ把握の機会との思いから、終了後の質疑応答を積極的に行なっています。

あ る女性団体の講演で質疑応答に入った時、「白木の祭壇が大嫌い」というご発言から確認すると、出席者の7割近い方が「私も嫌い」という挙手をされ、衝撃的 な体験として自身の意識改革につながった訳ですが、つい最近の講演で、また、衝撃的なリサーチとなったことがあるので報告申し上げます。

質疑応答の始めに上述の「白木祭壇、大嫌い」の体験を披露したところ、ある受講者が次のような面白いことを提案されました。

「興味本位で失礼なのですが、この機会に是非、知りたいことがあるのです。それは、現在に行なわれている葬儀に対して、皆さんが<嫌」><止めて欲しい>と思っておられること。それがどんなことか、ご意見を伺っていただけませんでしょうか」

 これは、私にも興味がある。すぐに実行に移すのは当然。 

その結果、まあ、次から次に挙手があり、好き勝手に遠慮のないご意見が飛び出してきた。

「入り口の家紋入りの提灯が嫌い。いかにもお葬式らしいイメージが嫌い。改革するべき」
「テレビドラマで見た<金ピカ>の霊柩車にショック。あれだけは乗りたくない」
「お涙頂戴の司会を止めて。もっとさわやかに出来ないの?」
「お葬式と蓮華。このイメージがどうして変わらないの?」
「会葬のお礼状なんて必要かしら?」
「お供養という返礼品なんて必要かしら? するなら品物をもっと考慮するべき」
「義理で来られる参列者なんていらない。無駄の象徴だと思う」
「お寺様は1人という訳にはいかないのでしょうか?」
「親戚の葬儀で思いました。信じられないような、その地の風習を改革するべき」
「いかにも葬儀らしい音楽には強い抵抗感を抱く。葬儀屋さんの感性を疑う」
「自治会に主導権があり、遺族の意思が踏みにじられたことが許せない」
「病院で葬儀社を紹介されたことが衝撃。病院に怒りを抱いた」

  上記は、ほんの一部である。15分ぐらいかなと予測して始めた質疑応答だが、1時間を経過しても留まる雰囲気はなく、ますますエスカレートの兆候。やっと 主催者側の介入でストップすることになったが、誰一人として席を立つ人がなく、主催者側が集約されたお声によると、「質疑応答の時間が楽しくて勉強になっ た」というのが圧倒的多数で、私の講演本体が何処かへ飛んでしまったような思いも抱きました。

 出席者の皆さんから拝聴した葬儀への抵抗 感、それは、我々葬儀社と宗教者の皆様には衝撃的なことが多く、その部分の表記は敢えて割愛させていただいたが、現在から近い将来の葬送形式の変化に対し て、絶対に止めることの出来ないパワーがあったことだけは真摯に受け止めています。

 いずれ、この「独り言」で紹介申し上げることになるでしょうが、「そんな時代が到来していたのか」ということにはなって欲しくないと思っています。
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